高速道路/東名高速01 【1960~1969】

東海道を結ぶ日本の高速大動脈

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東海道ルートと中央道ルートの着工争い

 名神高速道路で1本化された愛知と大阪を結ぶ高速道路のルート。一方、首都である東京と愛知を結ぶ高速道路網に関しては、東海道(東名)と中央道の2派に分かれ、着工の優先順位などを巡って喧々諤々の議論が展開された。

 東海道は海岸線ルートをメインに、東京南部から神奈川の横浜などを経て、静岡、そして愛知を結ぶ道路網を想定。これに対して中央道は、東京を西に進み、八王子や神奈川の津久井、山梨県の富士吉田、長野県の飯田などを経て愛知に入るルートを策定していた。東海道は人口・工業密集地域を結ぶというメリットを持ち、一方の中央道は最短距離で結べるという利点を有する。両路線に共通していたのは、多大な費用と時間を要し、しかも技術的に難しい長大トンネルを建設しなければならないという点で、これが名神のように1本化できない理由ともなっていた。

 最終的に政府は、1960年7月に「東海道幹線自動車国道建設法」と「国土開発縦貫自動車道中央自動車道の予定路線を定める法律」を同時に成立させ、東名高速道路と中央自動車道の両方の建設を決定した。

東名高速道路の建設開始

 1962年5月9日、先んじて中央道の東京IC~富士吉田IC間の工事が着工し、同月30日には東海道の東京IC~静岡IC間の工事が始まる。道路の建設は両路線とも鋭意進められたが、1964年になると中央道のほうに変更が生じる。予定ルートを富士吉田~飯田から大月~諏訪~飯田に変える方針が決定されたのだ。さらに工事のスピード面においても、脊梁地帯の多い中央道のほうが東海道より遅れをとっていた。結果的に中央道が全通し、愛知県と結ばれるのは、着工から15年後の1982年11月になってしまった。

 一方の東名高速道に関しては、順調に工事が進行する。1968年4月には東京IC~厚木IC(35.0km)/富士IC~静岡IC(40.3km)/岡崎IC~小牧IC(53.3km)が開通。翌1969年になると、2月に静岡IC~岡崎IC(131.6km)が、3月に厚木IC~大井松田IC(22.9km)/御殿場IC~富士IC(37.8km)が開通した。

 ちなみにこれらのルートの中には、難しい工事がいくつもあった。東名高速道路で最も長い静岡県の日本坂トンネル(全長は上り線2380m/下り線2370m)では、難しい地盤と長い距離を克服。同じく静岡県の浜名湖橋(完成当時、中央支間の140mは国内最長)では、鋼橋としては世界で初めて橋脚から両側に箱桁を架設するヤジロベエ工法を採用する。また神奈川県の大和市付近では東名高速道路の上空が厚木基地の滑走路の延長線上にあったため、墜落の危険(実際に1964年9月には東名高速道路建設現場のすぐ近くに米軍機が墜落し、10名の死傷者を出すという大惨事が起きた)に備えて上部をコンクリートで覆う大和トンネル工事が実施された。

日本最大の高速大動脈に発展

 酒匂川を横断する橋梁の難工事(酒匂川橋。完成当時は日本一の65mを誇った)を経て、1969年5月に大井松田IC~御殿場IC(25.8km)が開通すると、東名高速道路の全線はついに完成する。総距離は346.8km。東京から愛知、そして名神高速道路を経て大阪へとつながる物流の大動脈が、この時点で出来上がったのである。

 現在の東名高速道路は、日本最大の通行量を誇るハイウエイに成長している。今後は環状高速道路との連結やETCの活用拡大、第二東名の建設などでさらなる利便性の向上を図る予定だ。