S2000 【1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006,2007,2008,2009】

高剛性オープンボディを実現。復活した“S”

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名車“Sモデル”の復活

 1995年10月開催の第31回東京モーターショーで、本田技研工業は新世代スポーツのコンセプトモデルを披露する。車名は「SSM(スポーツ・スタディ・モデル)」。かつてのS600やS800といったホンダの伝説的なFR(フロントエンジン・リアドライブ)スポーツカーと同じ“S”の車名を冠した、2シーターオープンスポーツだった。

 SSMはコンセプトカーながら、非常に現実性が高かった。高い剛性を確保した2シーターオープンボディと、NSXから流用した前後ダブルウィッシュボーンのサスペンションで構成され、ボディサイズは全長3985×全幅1695×全高1100mm/ホイールベース2400mmで仕立てる。搭載エンジンはインスパイアなどに設定するG20A型1996cc直列5気筒OHC20Vをベースに、DOHCのヘッド機構やVTECの可変バルブタイミング・リフト機構などを組み込んだ専用ユニットを採用していた。

 ホンダがFRスポーツカーを復活させる−−。自動車業界やマスコミ、そしてスポーツカーファンは、にわかに沸き立った。本田技研工業としてもショーでのSSMの注目の高さに、ホンダ製スポーツカーのニーズを感じ取る。結果的に本田技研工業の首脳陣は、新世代FRスポーツカーの本格的な開発および市販化にゴーサインを出した。

“リアルオープンスポーツカー”S2000デビュー

 本田技研工業の新世代スポーツカーは、NSXの開発責任者も務めた上原繁氏が陣頭指揮を執り、開発が進められる。そして、1998年9月に本田技研工業が行った会社創立50周年を祝う記念式典において、新しいスポーツカーのプロトタイプを発表。当時の吉野浩行社長自らが「21世紀に向けた新しいホンダのシンボル」と語った新世代スポーツカーは、1999年4月になって「S2000」(AP1型)の車名を冠して市場デビューを果たした。ホンダの“Sモデル”としてはS800Mが1970年7月にカタログから外れて以来、実に28年9カ月ぶりの復活だった。

“リアルオープンスポーツカー”と称したS2000の車種展開はモノグレード構成。車両価格は338万円(東京標準価格)に設定される。生産はNSXと同じ栃木製作所高根沢工場が担当。ボディカラーはシルバーストーンメタリック、グランプリホワイト、インディイエローパール、ニューフォーミュラレッド、ベルリナブラック、モンテカルロブルーパールという計6タイプをラインアップした。

前後重量配分を理想的な50:50に設定

 S2000は“走る楽しさ”と“操る喜び”を具現化しつつ、同時に環境への配慮と高い安全性を兼ね備えることを商品テーマに据えていた。基本レイアウトはFR方式の2シーターオープン。優れたハンドリング性能や人車一体感を実現するためエンジンを前輪車軸後方に配置。車体前後重量配分を50:50を実現する。

 オープンボディに関しては、中央部に位置するフロアトンネルをメインフレームの一部として活用。フロアトンネルを前後のサイドメンバーと同じ高さで水平につなぐX字型の新構造“ハイXボーンフレーム”を導入する。これにより、サイドメンバーからフロアトンネル、サイドシル、フロアフレームまでがつながる“三つ又分担構造”となり、クローズドボディと同レベルの高剛性と衝突安全性を実現した。
 シャシーについては高いハンドリング性能と高レスポンスを実現するためにインホイール型ダブルウィッシュボーンサスペンションを新開発。さらに、前後ディスクブレーキやコンパクト化したABSシステム、トルクセンシングタイプのLSDを組み込んだ。

8300rpmの超高回転で最高出力発生!

 前輪車軸後方に縦置き搭載されるエンジンは、シリンダーブロックのスリム化や各部の軽量化を果たした新開発のF20C型1997cc直列4気筒DOHC16V・VTEC。11.7の高圧縮比と専用セッティングのPGM-FIにより9000rpmの最大許容回転数、250ps/8300rpmの最高出力、22.2kg・m/7500rpmの最大トルクを発揮する。また、マルチポート排気2次エアシステムやメタルハニカム触媒の導入によりコールドスタート時からの効率的な排出ガスのクリーン化を成し遂げた。
 組み合わせるトランスミッションは、高回転・高出力に対応した新開発の6速MT。スムーズな加速感と小気味いいシフトチェンジが味わえるよう、クロスレシオ化とショートストローク化を図った。

 開発陣は内外装デザインの演出についても徹底してこだわる。エクステリアは空力特性を重視して抵抗や揚力を低減したうえで、リアルスポーツカーらしい機能美を追求。ウエッジシェイプを基本に、スピード感のあるキャラクターラインと抑揚のあるフェンダー、プロジェクタータイプのディスチャージヘッドライト、ダックテール形状のリアビューを採用する。
 インテリアは機能とエキサイトメントを両立させるデザイン。フォーミュラマシンをイメージさせるデジタルメーターや操作性を重視した小径ステアリングホイール、形状やウレタン硬度分布をきめ細かくアレンジしたスポーツシートを装備した。

緻密な改良によって完成度をアップ

 ホンダが放つ久々のFRオープンスポーツカーは、走り好きのユーザーから好評をもって迎えられる。一方で開発現場では、「スポーツカーは進化と熟成が大切」という方針のもと、緻密かつ先進的な改良をS2000に施していった。
 まず2000年7月に、世界初のステアリング機構であるVGSを組み込んだ「タイプV」を発売。同時に、新ボディ色のミッドナイトパールの追加やレッドの本革シートのオプション設定などを行う。

 2001年9月には初のマイナーチェンジを実施し、カスタムカラープラン(外装色13タイプ/内装色5タイプ/幌色2タイプ)の新規導入やリアウィンドウの熱線入りガラス化などを実施。2002年10月には専用外装色2タイプにクロームメッキミラーやゴールドホイール、タン内装などを装備する特別仕様車の「ジオーレ」をリリースした。

 2003年10月になると、再度のマイナーチェンジを施行。一部内外装のデザイン刷新に加え、17インチタイヤ(前215/45R17、後245/40R17)の採用やサスペンションのセッティング変更、ボディ剛性の強化などを実施する。2004年4月には、生産工場を栃木製作所高根沢工場から鈴鹿製作所TDラインに移管した。

生産中止の発表後に多くの受注が舞い込む!

 S2000の改良は、まだまだ続く。2005年11月にはマイナーチェンジを行い、搭載エンジンをF22C型2156cc直列4気筒DOHC16V・VTEC(242ps/7800rpm、22.5kg・m/6500〜7500rpm)へと変更。中低速トルクを向上させると同時に、DBW(ドライブ・バイ・ワイヤ)の採用や6速MTのローレシオ化、内外装の一部変更を実施する。車両型式はAP2に切り替わった。2007年に入ると、4月の米国ニューヨーク・オートショーにスポーツ走行を前提とした「CR(Club Racer)」プロトタイプを発表。10月には日本でのマイナーチェンジを実施し、VSAおよびサテライトスピーカーの標準装備化、空力性能と懸架機構のセッティングを再構築した「タイプ S」の追加した。

 走り好きを魅了したS2000は、デビューから10年あまりが経過した2009年6月に生産を終了する旨が決定される。
 この発表は同年1月にアナウンスされたのだが、以後多くの駆け込み注文が販売ディーラーに舞い込んだ。最終的に2カ月伸ばしの2009年8月まで、平成のホンダ製FRスポーツカーは生産ラインを流れることとなったのである。