プリメーラGT 【1991,1992,1993,1994,1995】

英国日産が生産したスポーティ指向のハッチバック

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


プリメーラ5ドアの輸入の背景とは−−

 バブル景気の絶頂期となった1980年代末から1990年代初頭、日本の自動車メーカーは自社の利益を上げるための拡大戦略を積極的に展開していた。その中で日産自動車は、海外拠点で製造するクルマを日本に輸入販売する方針を打ち出す。
 その背景には、日産が推進する“グローバル構想”があった。これは車両の生産を世界規模で捉え、メインマーケットとなる地域の生産拠点で専用モデルを製造し、少量需要地域へは当該生産拠点から出荷する生産分担および相互補完体制のことで、1980年代に発生した貿易摩擦への対応から生まれた国際協調プログラムであった。またこの手法は、船便の空荷を効率的に少なくする効果も併せ持っていた。

 そんなグローバル構想の一環として、日産はNissan Motor Manufacturing(UK)Ltd.(英国日産自動車製造会社。略称NMUK)のサンダーランド工場で生産する5ドアハッチバック仕様の欧州専用プリメーラにスポットを当てる。個性的でスポーティなスタイルと優れたユーティリティを有し、欧州市場で高い支持を獲得するプリメーラのハッチバックモデルを、日本に導入する決定を下したのだ。

モノグレード展開で日本デビュー

 欧州専用モデルのプリメーラを日本仕様に仕立てるに当たり、日産のスタッフは現地のトップバージョンをベース車として選択する。さらに、英国産である事実を明確に示すアレンジ手法を採用した。
 スタイリングに関しては、滑らかなラインのリアゲートと張りのあるボディ曲面で構成した5ドアハッチバックを基本に、フルエアロスポイラーやレメルツ製14インチアルミホイール、GTエンブレムなどを装着してスポーティに演出する。フロントボディのサイドには、生産国を示す“United Kingdom”のロゴを配する専用ラベルも貼付した。

 インテリアは欧州専用の平織クロス地スポーツタイプバケットシートのほか、本革巻きステアリングホイール&シフトノブ&パーキングレバー、GTマーク入りコンビメーターなどのアイテムを標準で装備する。また、後席ヘッドレストやリアヒーターダクトを組み込んで、乗員の快適性を向上させた。後席自体には6対4分割式のダブルホールディングシートを採用し、ラゲッジスペースの多用途性を大いに高める。

 搭載エンジンはSR20DE型1998cc直4DOHC16V(150ps/19.0kg・m)で、欧州でのトップユニットの証である赤色のロッカーカバーが配される。組み合わせるミッションはOD付4速ロックアップオートマチックに絞った。欧州専用チューニングのサスペンションは基本的にそのまま踏襲し、日本仕様のセダンとはひと味違う走りが楽しめるように配慮する。

 英国産のプリメーラは、“5ドア2.0e GT”というグレード名を付けて1991年10月に日本デビューを果たす。取得した型式はFHP10型。ボディカラーはダークグレーパールメタリックとスーパーブラックの2色を用意し、車両価格はプリメーラ・シリーズの中で最も高い251万5000円に設定していた。

5ドアハッチバックは予想以上の人気に−−

 広告などでは「5ドア、はじめました」と宣伝されたプリメーラ5ドアは、「日本市場では5ドアハッチバックは売れない」という定説に反し、意外なほど高い人気を獲得する。GTというキャラクターづけが良かった、セダンとは異なるスポーティな装備群が好評を博した、欧州指向の卓越した走りがユーザーを惹きつけた−−要因は色々と挙げられた。

 5ドアボディの設定に自信を持った日産のスタッフは、デビュー後も細かな改良を加えて新鮮味の維持を図っていく。1994年2月にはリアサスペンション回りの剛性を引き上げると同時に、オートマチックトランスミッションをフルレンジの電子制御タイプに換装。さらに、シート表地やウィンカーカバー色の変更などを実施した。1995年1月になると、車両価格を2.0e GTに対して20万円以上も引き下げた新グレードの“2.0SLX”が追加される。エアロスポイラーなどのスポーティなアイテムは省かれたものの、派手さを嫌う大人のユーザーには「欧州指向の実用性の高さがストレートに感じられる」と好評だった。

 セダンモデルほどではなかったものの、日本市場で熱い支持を集めたプリメーラのハッチバック仕様。キャラクターの設定次第では、日本でも5ドアハッチバックが受け入れられる余地はある−−そう判断した日産のスタッフは、2代目となるP11型系プリメーラでも5ドアハッチバック仕様をラインアップをしたのである。