パルサーGTI-R 【1990,1991,1992,1993,1994】

WRC制覇を目指した史上最速パルサー

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WRC参戦のための戦闘力の高いモデル

 1960~70年代にかけてはブルーバードやフェアレディZ、バイオレットなどが、1980年代にはシルビア・ベースの240RSや200SXが活躍した日産自動車のラリー活動。かつては“ラリーの日産”と謳われるほどの強さを見せていた同社だったが、WRC(世界ラリー選手権)がグループAの時代に入ってからは目立った成績を残せない事態に陥っていた。

 市販車の完成度がダイレクトに戦績に反映され、しかも会社のイメージ向上や販売の伸びにつながるラリーの舞台で、ぜひ復権したい--。そんな決意を固めた日産のスタッフは、WRCに本格参戦するマシンの開発に鋭意、取り組み始める。社内の啓蒙策として推進されていた「90年代には技術の世界一を目指す」という“901運動”も、この気運を大いに盛り上げた。

 ベース車を選択する際、開発陣はグループAの特性を詳細に検討し、「コンパクトで機動性に優れる」という理由から次期型パルサーをチョイスする。ここに2リッタークラスの高性能エンジンを積み込み、確実な駆動力を発揮する四輪駆動システムと組み合わせれば、最高のラリーマシンに仕上がると判断したわけだ。

すべてを勝利のために設計&リファイン

 搭載エンジンは、アルミ製シリンダーブロックや4バルブDOHCのヘッド機構、スイングアーム式のバルブロッカー、ローラーチェーン駆動のカムシャフトなどを採用するボア86.0×ストローク86.0mm、排気量1998ccのSR20DE型系をピックアップする。ここに大型のギャレット製ターボチャージャーと大容量インタークーラー(コアサイズW350×H295×T60mm)、さらに4連スロットルチャンバーや大口径インテークマニホールド、ナトリウム封入中空エグゾーストバルブ、クーリングチャンネル付きピストンなどを組み込み、専用チューニングの“SR20DET”ユニットを完成させた。パワー&トルクはストック状態で230ps/6400rpm、29.0kg・m/4800rpm。WRCでは300ps/38.0kg・m以上の出力を想定していた。

 組み合わせるミッションは、これまた専用セッティングの5速MTで、シンクロ容量のアップやクラッチの強化などを実施する。ギア比は第1速3.285/第2速1.850/第3速1.272/第4速0.954/第5速0.740/後退3.266に設定。さらに、ラリー競技用に同3.067/2.095/1.653/1.272/0.911/3.153のクロスレシオミッションも用意した。またWRC用には、6速の専用クロスレシオミッションを開発する。

 駆動メカについては、ビスカスカップリング付きセンターデフ式フルタイム4WDであるアテーサ(ATTESA。Advanced Total Traction Engineering System for AII)を、独自のチューニングを施して採用する。リア側にはビスカスLSDも装備した。前マクファーソンストラット/後パラレルリンクストラットのサスペンションも専用セッティング。ショックアブソーバーの減衰力はフロントが伸び側150/縮み側50kg、リアが同80/40kgに設定し、コイルスプリングのばね定数は前2.2/後2.4kg/mmに仕立てた。前ベンチレーテッドディスク/後ディスクのブレーキ機構も強化され、ローター径の拡大やキャリパー剛性のアップ、タンデム倍力装置および冷却エアダクトの装着などを実施する。もちろん、ボディ本体やパーツ取付部も入念に補強された。

 開発陣は内外装についても様々な工夫を凝らす。エクステリアでとくに重視したのはエンジンの冷却性を高めるための機構で、バンパー部やグリルのほか、ボンネットにもエアインテーク&ルーバーを設ける。また、ボディ各部に専用デザインのエアロパーツを装着した。インテリアに関しては操作性の向上に重きを置き、3本スポークの本革巻きステアリングや前席フルバケットシートなどを奢る。エアコンやオーディオといった快適アイテムも装備するが、ラリーのベース仕様ではこれらが省略された。

“GTI-R”のグレード名を冠して市場デビュー

 日産の新しいWRCウェポンは、N14型系パルサーのデビューと同時期の1990年8月に発表される。グレード名は“GTI-R”。車種展開は標準仕様のGTI-Rとラリーのベース仕様という2タイプを用意し、車両価格はGTI-Rが227万円、ベース仕様が212万円に設定していた。

 市場に放たれたパルサーGTI-Rは、日産の久々の本格ラリーマシンであることに加え、WRC出場前から多数のCMを打つなどの広告戦略を取ったこともあり、クルマ好きから大注目を浴びる。また、ハニカムグリルのプリントに“PULSAR GTI-R”のロゴを刻んだ表紙で始まる全12ページのカタログは、メカのイラストや写真、それに付随する解説文でぎっしりと埋められ、マニア心を大いに刺激した。

 市場での大きな話題を集め、販売台数の出足も好調に推移したGTI-R。しかし、肝心のWRCグループAでは大苦戦を強いられる。小さすぎたボディとホイールベースによるピーキーな運動特性、ホイールストロークとトラクションの不足、さらにエンジン冷却性能の悪さなどが、満足な成績が残せない要因だった。WRCでは、1992年シーズン、スウェディッシュ・ラリーの総合3位が、パルサーGTI-Rの最高位となった。

WRCでは活躍できなかったものの--

 苦戦を強いられるWRCグループAでのGTI-R。その一方で、ベースとなる量販モデルでは細かな改良が続けられる。
 1991年10月にはマニュアルミッションのシンクロ容量のアップやクラッチペダルの支持強化板の追加などを実施。さらに1992年8月には、内外装デザインの一部変更やインテークマニホールドサポートの支持強化、オルタネーターステーの追加、リザーブタンクの改良などを敢行する。また、当初は日産栃木工場で製造していたボディは、1991年5月より当時提携関係にあった富士重工に移管された。

 様々なリファインが行われたGTI-Rだが、WRCグループAの舞台では好転が見られず、結果的に1992年シーズンを持ってワークス活動は中止される。この背景には、バブル景気崩壊による日産の急激な業績悪化もあった。

 WRCグループAでは失敗作に終わったパルサーGTI-R。しかし、グループNや国内ラリーのカテゴリーでは多くのプライベーターに高く支持され、成績面でもグループAをはるかに凌ぐ好結果を残す。また市場では、専用パーツを満載した至極のメカニズムがクルマ好きの心を惹きつけ、“IR”(アイ・アール)の愛称で親しまれながら1994年のモデル末期まで堅調な販売成績を維持し続けた。