マツダデザイン3 【1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970】

“ロータリゼーション”を牽引した3台のスポーティクーペ

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ロータリーエンジン実用化に挑戦したマツダ

 フラットデッキデザインを採用する小型乗用車のファミリアや“Aライン”と称する流麗なフォルムを纏った上級サルーンのルーチェを発売し、乗用車市場での存在感を一気に高めた1960年代中盤の東洋工業(現マツダ)。一方で同社は、今後の会社の行末を大きく左右するようなビッグプロジェクトを鋭意推し進める。“ロータリーエンジン”の研究開発だ。1961年2月にロータリーの技術を確立していたドイツのNSUバンケル社と技術提携を結び、新エンジンの実用化に邁進した。

 ロータリーエンジンはピストンの上下動を回転運動に変えるレシプロエンジンに比べて、ロータリーピストンの回転運動がそのまま推進力となる効率的な特性を備える。さらに複雑なバルブ機構が必要なく、軽量コンパクトに仕上げられるというメリットも併せ持っていた。ただし、その製作工程は非常に難しく、とくに開発陣を悩ませたのが長時間回したときに発生するローターハウジング内壁面の波状磨耗、いわゆるチャターマークだった。開発陣はこれを“悪魔の爪跡”と呼び、その対策に苦心する。試行錯誤を繰り返しながら進めたリファインの道程は、開発開始から約2年後の1963年9月にひとつの実を結んだ。金属シールの先端付近に横穴と、それに交差する縦穴を設けるというクロスフォロー機構を生み出したのである。さらに翌年には、日本カーボンと共同開発したカーボン製アペックスシールと硬質クロムメッキ加工のローターハウジングを組み合わせ、悪魔の爪跡という難題を克服した。

イメージカーとして出発したコスモスポーツの前衛造型

 東洋工業の技術の象徴となるロータリーエンジン。これを最初に搭載するクルマも当然、シンボリックである必要があった。コンセプトモデルが最初に披露されたのは1963年の第10回全日本自動車ショーの中庭で、松田恒次社長が自らステアリングを握り、会場を訪れる。第11回ショーでは東洋工業のブースに「コスモ」の名前で展示。第12回ショーでもディスプレーされ、第13回ショーではより量産型に近いモデルが「コスモスポーツ」の名で発表された。待望の市販デビューは1967年5月。10A型491cc×2・2ローターエンジンは110ps/13.3kg・mを発生し、最高速度は185km/hに達した。

 スタイリングに関しては、造形係主任の田窪昌司氏の主導のもと、デザイナーの小林平治氏が辣腕を振るう。当初は社長から「売り出すつもりのないイメージカーだから、思い切ったデザインのスポーツカーを設計してくれ」との命を受け、デザイングループは「ヒョウが獲物に襲いかかる瞬間の、重心が頭から肩のあたりにきた精悍で躍動的な姿」をイメージしてスタイリングを手がけていく。やがてこのモデルがロータリーエンジン車の第1弾になることが決定。東洋工業としては初の原寸大クレイモデルを製作するなど、精力的に開発を進めていった。

 市販モデル化に当たっては、専用のセミモノコックボディを基本に低く流れるようなフォルムを構築。フロント部はコンパクトに収まるロータリーユニットのメリットを生かして低く尖った造形でアレンジし、サイド部ではシャープなプレスラインと低いボディ高(1165mm)などでスピード感を強調する。リア部は曲面構成のリアウィンドウに薄くて幅広いトランクルーム、バンパーを境に上下2分割式としたリアコンビネーションランプなどを組み込んで未来的な印象に仕立てた。

革新エンジンの普及版と貴公子、2台のロータリー車の登場

 革新のエンジン機構をついにモノにした東洋工業。ロータリーエンジンは同社の象徴として、その後も搭載車のラインアップを積極的に拡大していく。
 まず1968年7月には、専用チューニングの10A型491cc×2・2ローターエンジン(100ps/13.5kg・m)を搭載した「ファミリア・ロータリークーペ」が市場デビューを果たす。1967年開催の第14回東京モーターショーでコンセプト版のRX85を出展し、それを基に量産モデル化したロータリークーペのスタイリングは、専用デザインの精悍なフロントマスクにスポーティなリアビュー、流れるようなサイドのプレスラインとルーフ形状で構成し、メーカー自ら“型破りのスーパーカー”と謳った。さらに1969年7月になると、4ドアセダン版の小型ロータリー車となる「ファミリア・ロータリーSS」が発売される。クーペと同イメージのアグレッシブなルックスにセダンの実用性を備えたロータリーSSは、ファミリーカーのカテゴリーに新たな境地をもたらした。

フラッグシップクーペの誕生

 量産を目的とする小型ロータリー車をリリースした後の1969年10月、東洋工業はロータリー車のフラッグシップモデルをリリースする。新開発の13A型655cc×2・2ローター(126ps/17.5kg・m)の新ユニットを搭載した「ルーチェ・ロータリークーペ」だ。

 1967年開催の第14回東京モーターショーにおいて披露されたRX87をベースとする同社初のFFハードトップクーペは、低くて長い独特のフォルムに三角窓を廃したウィンドウグラフィック、専用デザインのフロントグリル、横長タイプの大型リアコンビネーションランプなどを採用し、新ロータリーエンジンと合わせて唯一無二の上級サルーンに仕立てられる。メーカー側も独創的で美しいスタイルと高性能な走りを両立している特徴を強調するために、“ハイウェイの貴公子”という瀟洒なキャッチフレーズを冠した。

 スタイリッシュなロータリーエンジン搭載車を相次いで市場に送り出した1960年代後半の東洋工業。その積極果敢な開発姿勢は、1970年代に入ると省エネや排ガスのクリーン化といった社会問題の克服に割り当てられることとなった。