ホンダの歴史1 第一期/1946-1964 【1946,1947,1948,1949,1950,1951,1952,1953,1954,1955,1956,1957,1958,1959,1960,1961,1962,1963,1964】

チャレンジ精神”と“夢を紡ぐ力”がすべての原点

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現在の企業スローガンが、ホンダの本質を表している。
クルマや飛行機など、人間の行動半径を広げ、
生活を豊かにする機械に対して、
限りないロマンを抱き続けた
本田宗一郎の情熱の原点が、“夢の力”であり、
それはそのまま、ホンダを形成した。
栄光の第一歩をご紹介しよう。
時代に先駆けて夢を実する姿勢。それがホンダイズム

 ホンダに対するイメージは、世代によって大きく異なる。壮年を迎えたベテランファンにとっては「1.5L時代のファーストF1チャレンジ」や「宝石のように美しく繊細なメカニズムを持った1960年代のSシリーズ」がホンダの原点だろう。40代半ば以上の人にとっては「セナ時代のマクラーレンF1」であり「走りが鮮烈なシビックやトールボーイのシティ」かもしれない。一方、最近のファンは「経済性に優れたフィット」、や「痛快な走りのS660」のイメージを思い浮かべるのではないか。

 ホンダは、つねに世界の頂点であるレーシングフィールドで戦うと同時に、“時代の空気を半歩先取りしたクルマ”を提供してきた。いわば時代に先駆けた“夢”を具現化してきたメーカーだ。それだけに世代ごとに具体的なイメージが異なるのだ。だが、そこに一貫して流れているのは、真摯な“チャレンジ精神”である。

 ホンダは、戦後に生まれ、急成長を遂げたメーカーである。1946年に本田宗一郎によって設立され、まずモーターサイクルの分野で成功を収める。誰にでも気軽に乗れるバイクというコンセプトで作り上げた“カブ”や、走行性能に優れた“ドリーム”などのヒットにより、1955年には早くも国内第1位の2輪車メーカーへと上り詰めた。

 2輪車メーカーとして成功したホンダの次なるチャレンジ目標は「4輪車」だった。もともと本田宗一郎は、自分のアイデアを満載した4輪車を作るために会社を設立したのである。

ホンダは、始めての4輪チャレンジにあたって、自らの技術力をフルに生かす独創的な手法を取った。本格スポーツカーという、クルマを愛する人、すべての夢をまず作り上げたのだ。

モーターショーの視線を釘づけにした超マイクロスポーツカー!

 1962年秋のモーターショー(当時の正式名称は全日本自動車ショー)にホンダは3台のモデルを参考出品した。なかでも注目を集めたのは2台のスポーツカーだった。そのスポーツカーは、当時の軽自動車の規格(ボディサイズ:全長×全幅3×1.3m,排気量360cc)に合致させた『S360』と、そのサイズアップ版の『S500』である。コンパクトながら伸びやかなロングノーズフォルムを持つオープン2シータースポーツで、スタイリング以上に注目を集めたのがその珠玉のメカニズムだった。

ノーズに収まっていたのはなんとオールアルミ製の直列4気筒DOHCユニット。DOHC機構は当時、世界的に見てもひとにぎりのスーパースポーツしか具現化していないメカニズムだった。それを大胆にも採用してきたのだ。ホンダのブランドネームは、一挙に“高性能”の代名詞となった。スペックも世界の超一級品で、京浜製のCVキャブレターを4連装し、S360で33ps/9000rpm、S500は40ps/8000rpmと発表された。

 ちなみに同時に発表されたもう1台は実用性を重視した軽自動車規格のトラック、『T360』。しかし驚くべきことに、このT360のパワーユニットはS360用をデチューンしたDOHCユニットだった。

 ホンダの記念すべき初の市販車となったのがこのT360。1963年秋に正式に市販に移され市場から大いに注目を集めた。パワーユニットはもちろん自慢のDOHC。その30ps/8500rpmの最高出力は当時のライバルの約2倍。“スポーツトラック”の愛称で、マニアックなビジネスユーザーから熱狂的な支持を受けた。

Sシリーズは500から発進。その後の成長は見事!

 モーターショーで話題を独占したSシリーズは、T360から遅れること2ヶ月、1963年10月に『S500』で市販を開始した(デリバリーは64年1月から)。量産型のS500はモーターショーに出品したモデルと比較して各部がリファインされていた。ボディサイズがやや拡大(スリーサイズは3300×1430×1200mm)され、スタイリングはより精悍な印象に仕上げられた。DOHCエンジンは実用性を重視して排気量を531ccまで拡大。44ps/8000rpmをマークした。独創的なチェーンドライブ方式を採用し、トップスピードは130km/hに達した。

価格は45万9000円。卓越したパフォーマンスと、大方の予想を大幅に下回る価格はセンセーションを巻き起こした。S500の発表は、日本だけでなく海外でも大きな話題となったのだ。

 市販に移されたSシリーズは、さらなるポテンシャルアップを目指し、絶え間ないリファインを繰り返す。早くも1964年3月に『S600』に進化。S600は、602ccに排気量を拡大し57ps/8500rpmにパワーアップ。トップスピードは145km/hに高まった。エクステリアもフロントグリルやバンパー周囲のリファインでより逞しい印象を獲得した。このS600から輸出も本格的になり、Hondaのブランドは、2輪車に続き4輪車も世界のものとなる。S600は欧州のレースにも積極参戦し、好成績を残す。ひとクラス上のクルマを打ち負かすことも少なくなかった。

 その後オープンボディに加え、より実用性を重視したクーペを追加。さらに65年秋には『S800』に成長する。S800は70psのパワーと160km/hのトップスピードを獲得。名実ともに世界を代表するライトスポーツに成長する。後期型はシャフトドライブ方式となり信頼性も高まった。ディスクブレーキやラジアルタイヤなどが標準装備となったのもこのS800からである。