スズキ・アルト vs ダイハツ・ミラ・クオーレ 【1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985】

Kカーの人気を復活させた2台の“軽ボンバン”

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時代の要請に則した軽自動車の規格改定

 1970年代半ばの軽自動車を取り巻く環境は、解決しなければならない深刻な問題が山積していた。段階的に厳しくなる排出ガス規制、交通戦争という名称まで生み出した死亡事故の増加に対応した安全性の向上、そして高速道路網の整備に起因したクルマに対する高性能化の要求――。これらの難題を克服するために、運輸省(現・国土交通省)は軽自動車規格の改定を決断した。

 1976年1月、新しい軽自動車の車両規格を定めた運輸省令が施行される。ボディサイズは従来の全長×全幅×全高3000×1300×2000mmから同3200×1400×2000mm以下に変更。エンジン排気量は360ccから550ccに拡大された。

47万円の“軽ボンバン”アルトの登場

 ボディが大きくなり、エンジン排気量も増やされた軽自動車は、再びユーザーの注目を集めるようになる。低迷していた販売台数も回復軌道に乗り始めた。その流れは、1979年5月にデビューした画期的なモデルによって、さらに勢いを増す。車両価格は47万円、維持費も商用車のバン扱いで安く収まる「スズキ・アルト」が発売されたのだ。

 アルトは鈴木自工の卓越した市場調査と優れたコスト管理を背景に誕生した。まず市場調査では、都市部の郊外および地方において気軽な移動手段となる軽のセカンドカーの需要が多いことを確認。同時にこれらの層は2名未満での乗車が多く、かつ華美な装飾よりも安価な車両価格で実用性が高いクルマを求めていることを知る。この調査結果を得た鈴木自工の開発陣は、乗用に使えるバンモデル(商業車)の軽自動車の企画を立案。次期型のフロンテをベースに徹底した装備の簡素化を図った。

 ボディ形状は実用性の高いハッチバック型を採用し、ドア形状は運転席&助手席用2枚+ハッチゲート1枚の3ドアタイプに仕立てる。装備は思い切って簡略化し、ダッシュボードを覆うパッドや助手席側キーシリンダーなどは省かれた。一方、実用面に関する装備はきちっと備えられ、リクライニング機構付きのフロントシートに一体可倒式のリアシート、ゴム製のフロアマット、手押しポンプ作動のウィンドウウォッシャーなどを組み込む。エンジンは旧T5A型の改良版であるT5B型539cc・2ストローク3気筒ユニットを搭載し、組み合わせるミッションは4速MTのみの設定。リアサスペンションにはシンプルかつ低コスト構造のリーフリジッド式を採用した。ちなみにアルトを商業車としたのは、当時の税制では商業車のほうが乗用車より車両価格を安くできるためだった。

 車両価格が安く、経済性に優れたクルマが欲しいというユーザーにとって、アルトは格好の1台だった。結果的にアルトは軽自動車の新たな潜在需要を掘り起こし、軽ボンネットバン=“軽ボンバン”として大ヒットモデルに昇華する。

ダイハツ版の軽ボンバンのデビュー

 軽ボンバンには大きなニーズがある--。そう判断した鈴木自工の最大のライバル社であるダイハツ工業は、次期型クオーレに軽ボンバン仕様を設定する方針を打ち出す。しかも、アルトを凌駕する合理的な設計と優れた経済性を有する1台に仕立てることを目標に掲げた。

 基本ボディを企画するに当たり、開発陣はまず“FF1.5BOX”という新発想を掲げる。ベースは一般的な2BOXながら、エンジンが収まるフロント部をコンパクトに仕上げたうえでボディ高を高くとり、居住および荷室空間を最大限に広くする手法を採用した。エクステリアは、テールゲートを導入しながら、現代的でスタイリッシュな造形に仕立てる。ワイドな視界と開放感を実現するために、ガラスエリアも広くとった。ボディタイプは3ドアハッチバックのみとする。外観と同様、インテリアも洗練させ、シンプルで使いやすい室内空間を創出した。ドライビングポジションは、広い居住空間と良好な視界を達成するために、やや立ちぎみの位置に設定。エンジンは従来のAB型547cc直2OHCを、改良を加えながら搭載する。組み合わせるミッションは4速MTのほか、オートクラッチの4速を設定した。

 ダイハツ版の軽ボンバンは、1980年6月に市場デビューを果たす。車名は「ミラ・クオーレ」。車種展開は非常に簡素で、タイプAとタイプBの2グレードに、それぞれ4速MTとイージードライブ4速を用意した。アイドルの岡田奈々さんをイメージキャラクターに据え、“実用性+個性=ミラ・クオーレ”のコピーを冠して世に放たれたミラ・クオーレは、購入費用の安さと優れた燃費性能、そして1.5BOXの実用性の高さなどが好評を博し、たちまち大ヒット作に成長する。乗用車版のクオーレの販売台数も大きく上回り、やがてダイハツ製軽自動車の主役に位置づけられるようになった。