タイヤの歴史/ブリヂストン05 【1993,1994,1995,1996,1997,1998】

積極的な技術開発とグローバル展開で躍進した1990年代

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3つの新基盤技術で基本性能を大幅アップ

 1990年代のブリヂストンは、積極的な技術開発とグローバル展開で一段と躍進する。1993年にタイヤの新基盤技術「DONUTS(ドライバー・オリエンテッド・ニューアルティメート・サイエンス=ドーナツ)を発表。実際のタイヤ設計に取り入れる。ドーナツとは「GUTT=自動進化設計法」、「O-Bead=真円性向上ビード」、「LL(長連鎖)カーボン」の3つからなる技術で、タイヤに求められる様々な機能の設計開発を高度に、そして効率化するのに大きな効果を発揮した。ポテンザやレグノといったスポーツ&プレミアムタイヤだけでなく、普及版のBシリーズなど、ドーナツは多くのタイヤに生かされ、「乗ったら違いが分かる、安心・安全なタイヤ」としてユーザーから高い支持を受けた。国際的にも、アメリカタイヤ学会論文賞を受賞するなど評価された。

 技術の進化は、タイヤ輸出の拡大をもたらした。円高という輸出に不利な状況下にも関わらず、1992年を100とした場合、1996年には50%もの伸びを達成したのだ。これには従来市場での拡販に加えて、新市場の開拓を積極的に行ったことも大きかった。アフリカ、マレーシア、フィリピンなどでブリヂストンは存在感を明確にする。

日本のアフターマーケット販売体制を大幅強化

 日本国内では、アフターマーケットでの販売体制を強化した。一般ユーザーを対象にした大型タイヤ専門店「タイヤ館」を新規オープン。1995年には100店、翌1996年には200店に拡大しブリヂストン販売チャネルの新たな顔となった。一方、マニアの多様なニーズに応える「コクピット店」も品揃えやサービス拡充を実施。さらに従来、タイヤ販売の主力となっていた「ブリヂストンタイヤショップ」は「ミスタータイヤマン」に改名し店舗デザインを一新した。1996年の第1号店(東京・町田市)を皮切りに、新店舗は全国に広がる。

 アフターマーケット事業の拡大にタイヤは、ブリヂストンFVSの設立も貢献する。ブリヂストンFVSは、各種カー用品の拡充や、フランチャイズチェーン運影強化を目的とした新会社で、従来アルミホイールなどを販売していた自動車用品事業部を発展させたものだった。

欧州でのブランドイメージ向上の秘策。F1参戦!

 ブリヂストンは、「1996年にタイヤ事業のグローバルシェア20%獲得」を目標に、「1997年には世界の各市場でトップまたはナンバー2の強い存在感のあるメーカーになる」を基本方針に掲げて活動してきた。日本やアメリカ、そしてアジア、アフリカ市場ではこの目標は達成されつつあった。例外は欧州市場だった。タイヤの商品力でライバルに負けていたわけではない。ブリヂストンは欧州では知名度が低く、そのためユーザーに選ばれなかったのだ。欧州市場での存在感を引き上げるための効果的な方策は何か? 首脳陣は、欧州で生まれ、欧州の人々に愛されているモータースポーツの最高峰「F1」への参入を決断する。

 1997年からF1に参入したブリヂストンは、初年度「プロスト/アロウズ/スチュアート」の3チームにタイヤを供給。2位3回、3位1回を獲得しタイヤの優秀性を立証する。翌1998年には「マクラーレン/ベネトン」の上位2チームにも供給を拡大した。ブリヂストンタイヤを装着したマクラーレンは開幕から3連勝。その後グッドイヤータイヤを装着したフェラーリとの間で熾烈なチャンピオン争いを展開する。そして迎えた鈴鹿サーキットでの最終戦「日本グランプリ」。マクラーレンのハッキネン選手が劇的な勝利を収め、コンストラクターズ部門でマクラーレン、ドライバー部門でもマクラーレンのハッキネン選手が年間チャンピオンに輝いた。そしてブリヂストンもチャンピオンを支えたタイヤメーカーとして高い評価を受けた。F1への参戦効果は高く、欧州での知名度は瞬く間にアップ。販売も着実に拡大した。同時にレース中継で「BRIDGESTONE」のロゴマークが映し出されることもあり、世界的にもスポーツイメージが鮮明になった。