三菱ECO2 【1990〜1999】

電気自動車の研究・開発をリードした1990年代

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電力会社と共同で電気自動車を開発

 環境負荷を低減させる自動車として、世界中で注目を集めているEV(電気自動車)。三菱自動車工業のEVに対する取り組みは非常に早く、三菱重工業時代の1966年には研究に着手し、排出ガス規制が段階的に厳しくなった1970年代に入るとミニカEVやミニキャブEVを生み出している。

 三菱自工のEV開発は、米国カリフォルニア州でZEV(Zero Emission Vehicle)法が制定された1990年代に入ると盛り上がりを見せる。いち早く市場に放ったモデルは、東京電力と共同で手がけた「リベロEV」。ボンネットタイプのライトバンであるリベロ・カーゴをベースに開発した業務用の電気自動車だ。

 モーターは定格出力20kW/電圧240Vの交流誘導電動機で、バッテリーには鉛電池E75Aを20個(総電圧240V)使用する。電池ボックスは荷室部にレイアウト。制御機構にはトランジスタ・インバータのベクトル制御を採用した。充電に要する時間は車載充電器を使って約8時間でこなし、充電スタンドによる急速充電も可能とする。性能面では、一充電での走行距離が定地走行時で165km、10モード走行時で75km、0→40km/h加速は4.1秒でクリアーした。

 リベロEVは1993年に完成し、1994年から販売を開始する。価格は1123万円と高価だった。開発陣はデビュー後もリベロEVの改良を続け、後にニッケルカドミウム電池VON100-10を組み込んで走行可能距離を定地走行時で250km、10モード走行時で120kmと伸ばした進化版を発表した。

リチウムイオン電池を使ったEVの開発

 リベロEVの企画で電気自動車の開発技術を蓄積した三菱自工は、1990年代中盤になると次なるステップを目指す。力を入れたのは、走行距離を伸ばすのに欠かせない電池の進化。最終的に開発陣は、小型・軽量でエネルギー密度も高いリチウムイオン(Li-ion)電池を完成させる。

 革新的な自動車用リチウムイオン電池を組み込んだモデルは、1995年開催の第31回東京モーターショーで公開される。車名は「HEV」。同社のマルチパーパスカーであるシャリオをベースとし、リチウムイオン電池は前後輪間のフロア部に搭載。フロント部にはツインモーターシステムを、リア部には発電用の圧縮天然ガス(CNG)エンジンを配置し、バッテリー走行とハイブリッド走行が可能な電気自動車に仕立てた。性能面では、走行可能距離が定地走行で600km、0→400m加速22.0秒以下を達成する。HEVはショーデビュー後、米国カリフォルニア州で実証試験を敢行。この時、開発陣はリチウムイオン電池を積んだ電気自動車が将来的に本流になっていくことを確信したそうだ。

 第31回ショーでは、都市型EVコミューターも参考出品される。全長2.5m、最小回転半径3.0mのスペックを誇る「MAUS」(マウス)だ。ボディ外板シェル/ボディ骨格/シャシー&操作系という3つのモジュールで車両を構成する“ビルドアップ構造”を採用したMAUSは、小排気量エンジンのほかにモーター&バッテリーの搭載も想定。シャシーモジュールとして専用開発のEV用を設けた。

FTOベースEVで24時間走行距離記録に挑戦

 リチウムイオン電池の実用化によって電気自動車を大きく進化させた三菱自工の開発陣は、新たな走行実験を試みる。「24時間でどれだけの距離を走れるか」にチャレンジしたのだ。テスト車両は70kWの出力を発生する永久磁石式同期モーターとリチウムイオン電池を組み込んだ「FTO-EV」。1998年に完成させたスポーティEVは、約150kmの航続距離と180km/h以上の最高速を誇っていた。

 FTO-EVは四国EVラリーに参加してその耐久性を確かめた後、1999年12月に愛知県岡崎市のテストコースにおいて24時間走行を実施する。20分の急速充電と130km/hでの走行を繰り返して得た走行距離は、2142.317km。この記録はギネスのワールドレコードに認定されることとなった。ちなみに、FTO-EVのチャレンジは日曜の朝にスタート、月曜の朝にゴールというスケジュールで行われたのだが、夜が明けてきて2000kmを越えたころになると、岡崎工場で働いている三菱自工の社員が続々と集まり、ゴール時には開発陣と大勢の社員が一緒になって歓喜の声をあげたそうだ。

 様々な走行テストを実施し、EVの一般実用化に向けて自信を深めていった三菱自工の開発陣。その努力は、2000年代に入っていよいよ花開くこととなった−−。