S360 【1962】

初の4輪車として発表された軽スポーツ

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ホンダ初の4輪車として企画されたS360

 1962年の第9回全日本自動車ショー(東京モーターショーの前身)のホンダ・ブースには2台のスポーツカーが展示された。シルバーの「S360」と、深紅の「S500」である。1962年当時、すでにホンダは2輪車メーカーとして確固とした地位を築いていた。しかし4輪車はまだ生産していなかった。S360とS500は、ホンダが4輪車に近々進出することの宣言だった。4輪初挑戦にあたって、2シーターのスポーツカーを選択したのは、創業者の本田宗一郎が、ホンダのアイデンティティを明確にするため、スポーツカーを強く望んだためと言われている。

 S360、S500はともにFRレイアウトの2シーターオープンで、先進の直列4気筒DOHCエンジンを搭載していた。S360用ユニットの排気量は356cc、最高出力は33ps/9000rpm以上と公表された。当時軽自動車トップの最高出力はスズキ・フロンテの21psだったから、ハイパワーぶりは圧倒的だった。トランスミッションは4速MTで、トップスピードは120km/hオーバー。パフォーマンスはスポーツカーと呼ぶに相応しいレベルに達していた。

全身スポーツ!足回りは4輪独立式

 S360のスタイリングは伸びやかなロングノーズ・デザイン。全長3000mm以下という軽自動車規格に収めるためリアのオーバーハングは極端に短い。幌は簡単な作りのソフトトップで、オープン状態ではシート背後の専用スペースに収納された。
 インテリアもスポーツカーらしい作りだった。ドライバー正面に速度と回転計を配置し、室内中央部に水温計と燃料計をレイアウト。室内はセンターコンソールで2分され、着座位置の低いシートはサポート性に優れたバケット形状だった。ステアリングはウッドリムを持つイタリアのナルディ風3本スポークである。

 足回りは4輪独立システムを組み込む。フロントがダブルウィッシュボーンとトーションバーの組み合わせ、リアは2輪車の技術を生かしたチェーンドライブシステムを組み込んだトレーリングアーム形式としていた。
 S360の拡大版で、40ps/8000rpmのスペックを誇る492ccエンジンを搭載したS500とともに、2台のホンダ・スポーツはショー来場者の視線を釘付けにする。とくに軽自動車規格のS360への関心は圧倒的だった。

特振法がホンダの4輪車進出を後押し!?

 ホンダはショー会場で、S360、S500ともに1963年に市販を開始すると発表した。まだ乗用車さえ憧れの存在だった当時、世界最高水準のメカニズムを持つスポーツカーを発売、しかも1台は維持費の安い軽自動車規格と聞いてユーザーの期待は一気に高まった。

 ホンダが4輪車への進出を急いだ背景には、政治的な要因があった。1965年3月に予定されていた貿易の完全自由化を前に、通産省の手で特定産業振興臨時措置法(特振法)が立案されていたからだ。特振法とは、自動車を含む石油化学や重工業などの特別な6産業を、国際競争力を高めるために政府が援助を与えるもの。既存メーカー保護のため新規参入を認めない内容だった。特振法は1963年3月の閣議決定を目指していた。

 特振法の成立前に、4輪車の生産実績を残さない限り、ホンダの4輪車メーカーの道は閉ざされてしまう。そのため4輪進出を急いだのだ。結局、特振法は1963年10月に国会に提出されたものの、否決され廃案に追い込まれる。だが法律制定の動きが、ホンダの4輪車開発を加速したことは事実だった。

幻に終わったS360。しかしその心臓はトラックに搭載

 S360はショーに出品されただけで市販は見送られてしまう。幻に終わった理由については諸説あるが、市販に向けてテストを重ねるなかで、各種の改善がボディ重量の増加を招き、356ccエンジンではスポーツカーらしい走りの実現が難しくなったという話が有力である。結局、初のホンダ・スポーツとして1963年10月にデビューしたのは492ccエンジンを搭載したS500だった。

 だがS360用に開発されたエンジンは、S500よりもひと足早い1963年8月に市販された軽トラック「T360」の心臓に採用された。T360は、運転席下側のアンダーフロアにS360用33psを30ps仕様にデチューンした356ccの直列4気筒DOHCの4キャブレターエンジンを搭載。トラックながら100km/hの最高速度をマークした。まさに常識やぶりの“スポーツトラック”。販売台数は少なかったが、ホンダの熱烈な信奉者を生む起爆剤となった。