スカイライン2000ターボGT-E・S 【1981,1982,1983,1984,1985】

6気筒ターボを搭載したR30スカGのスポーツモデル

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


145psのターボパワーを誇る俊足GTの進化

 日産スカイラインは1981年8月に第6世代へとフルモデルチェンジされた。「ニューマン」、あるいは「鉄火面」のニックネームで呼ばれたR30系である。フルモデルチェンジに伴って、サーフィンラインと呼ばれたプレスラインが消え、スタイリングは一新された。
 GTのボディバリエーションは4ドアセダン、2ドアクーペ、5ドアハッチバックがあった。車名のスカイラインとは、山脈(都市部ではビルディング)と空の境界線を意味する英語で、スカイラインの生みの親であった名設計者、桜井真一郎氏の命名による。

 エンジンは基本的にはGTシリーズには直列6気筒が、TIシリーズには直列4気筒の2種が使い分けられており、グレードによって細かくチューニングされた。
 トップモデルの2000ターボGT-E・Sでは、エンジンは排気量1998㏄の直列6気筒SOHCにターボチャージャー装備(L20ET型、出力145ps/5600rpm)が搭載されており、7.6の圧縮比と電子制御燃料噴射装置を持つ。

アジャスタブルダンパーを装備したGT-E・S

 GT-E・Sのトランスミッションはオーバードライブ付き5速マニュアルもしくは3速オートマチックが選択できた。駆動方式はフロントが縦置きエンジンによる後2輪駆動。サスペンションは前がマクファーソンストラット/コイルスプリング、後ろがセミトレーリングアーム/コイルスプリングとなっており、4輪に装備される複動型ショックアブソーバーの減衰力(強さ)を、室内のセンターコンソール先端部に設けられたスイッチによって「ハード」「ソフト」の2段階に切り替えられる、トキコと日産の共同開発によるアジャスタブルショックアブソーバーが標準装備された。

 ブレーキは前がベンチレーテッドディスク、後ろはソリッドディスクでともにサーボ機構を持つ。タイヤは195/70R14サイズが標準装備された。スポーツ仕様のGT-E・Sでは快適装備は大幅に簡略化され、パワーステアリング、パワーウィンドウ、集中ドアロックなどは装備されない(パワーステアリングはオプションで装着できた)。

GT-E・Sはハードトップとセダンにラインアップ

 室内は、変形6角形のメータークラスターの中にオレンジカラーのメーター(左側が速度計、右側がエンジン回転計。下部には左に燃料計そして右に水温計など)がセットされ、センターコンソールはインスツルメンツパネル部分とフロア部分に分かれた2分割式。サイドブレーキはレバー式である。また、大型のフットレストが標準で備わる。

 シートはサポート性を高めたシェル形状。特製の表地を用いた一体成型の軽量型とされるが、上下の高さ調節はできない。ステアリングホイールはGT-E・S仕様特製の3本スポーク型となる。このGT-E・S仕様はハードトップおよびセダン系に設定された。

ポルシェとの激戦で神話を樹立

 スカイラインシリーズの看板モデルであったGT-Rは、1973年にすでに生産を中止しており、高性能モデルとしてのスカイラインはフラッグシップが不在という状態が続いていた。ハードトップ2000ターボGT-E・Sというグレードは、同じ1981年10月に登場するレーシングモデルのベース車両となる、直列4気筒DOHC(FJ20型、出力150ps/6000rpm)エンジンを搭載した2000RSを別にすれば、量産車としてGT-RのDNAを受け継ぐモデルでもあった。一方のRSシリーズは、1985年まで生産され、それ以降の発展はなかった。

 スカイラインという名のモデルが、旧・プリンス自動車工業からデビューしたのは、1957年4月。トヨタのクラウンや日産のセドリックと並んで、日本の高級車マーケットを創造。以後、1963年11月にフルモデルチェンジされ、ファミリー向けの小型セダンとなった。
 1964年5月の第2回日本グランプリ自動車レースで、スカイラインセダン(S50)のエンジンルームを延長し、グロリア用の直列6気筒エンジンを搭載したスカイラインGT(S54A-1)が、最新のレーシングGTであるポルシェ904とデッドヒートを演じ、一躍その名が知られることになる。スカイライン神話の誕生だ。レースへの出場認定を得るためのホモロゲーションモデルであったスカイラインGTは、スカイラインGT-Bとして、1965年2月から量産モデルとして市販された。

イメージキャラクターはポール・ニューマン

 プリンス自動車工業のモータースポーツへの情熱は、1966年8月の日産自動車との合併以後も衰えを見せず、GT-Bは日産スカイラインと名を変え、1969年2月デビューの初代GT-R(PGC10型)、1970年10月に登場したハードトップGT-R(KPGC10型)、さらに1973年1月の「ケンメリ(ケンとメリー)GT-R(KPGC110型)などを経て、スカイラインの名は伝説的なものとなった。しかし、厳しさを増す排気ガス規制や安全志向の高まり、加えてモータースポーツの低迷などの悪条件が重なり、GT-Rの名は197台のKPGC110型を以て、一時的に市場から姿を消すことになった。

 GT-Rのイメージを継承して設計されたモデルが、R30系スカイラインの頂点に位置するハードトップ2000ターボGT-E・Sというわけである。R30系スカイラインは、イメージキャラクターにモータースポーツが好きなことで知られたハリウッド俳優のポール・ニューマンを起用するなど、確かな走りのスカイラインの伝統を継承していた。

ターボならではのハイパフォーマンスを発揮

 性能的には、2.0リッタークラスのスポーティーモデルとしては水準以上だった。ある記録では最高速度185㎞/h。0→400m加速16.9秒。燃費は6~7㎞/L。1989年代初頭の時代では、外国車には2.0リッタークラスのターボチャージャー装備の量産スポーティーモデルはなく、ポルシェ924ターボが唯一の存在、国産車では三菱ギャラン&エテルナ∑2000GSRターボや同じ日産のローレルなどにターボチャージャー付きエンジンを装備したモデルがあった。

 スカイラインハードトップ2000ターボGT-E・Sは、2カ月遅れの10月に2000RSがデビューすると、スポーティーカーのトップモデルの地位を明け渡すことになる。しかし、そのいぶし銀のような存在感は大きなものがあった。