コルト1000F 【1966.1967,1968,1969】

ハッチバックを追加した本格ファストバックモデル

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4サイクルエンジンにより快適性を向上

 通産省の国民車構想に刺激を受けた新三菱重工業(後に旧・三菱重工3社が合併して三菱重工業となり、ここから自動車部門が分離して三菱自動車工業を発足)は、独自構想の国民車である「三菱500」を1960年4月に発売する。その後、三菱500は市場の上級指向に則して「コルト600」(1962年7月デビュー)へと発展。そして1965年10月には、国産車で初めてファストバックスタイルを取り入れた「コルト800」を発表した(発売は11月)。

 コルト800には、瞬発力に優れる2サイクルエンジンの3G8型ユニット(843cc・2サイクル直列3気筒。45ps/8.3kg・m)が搭載されていた。駆動レイアウトは従来のRRからFRに一新。サスペンションは前がウイッシュボーン/コイル、後ろが半楕円リーフを採用する。コルト800はスポーティなスタイリングに生まれ変わり、走りも乗り心地も向上した新世代の国民車だった。しかし、市場での人気はいまひとつ。最大の理由はエンジン。オイル消費が少なく、耐久性に優れ、静粛性も高い4サイクルエンジンの固定ファンが、コルト800に触手を動かさなかったのである。

 この状況をみた三菱の開発陣は、新たに4サイクル仕様のコルトの設定を計画。上級モデルとしてラインアップしていたコルト1000に採用するKE43型977cc直4OHVエンジンを、チューニングを見直して搭載する旨を決断した。

ハッチゲートを備えた3ドアの登場

 4サイクル版の新仕様は、「コルト1000F」の車名をつけて1966年9月に市場デビューを果たす。ボディタイプは2ドアノッチバックの1機種。KE43型エンジンは55ps/7.5kg・mのパワー&トルクを絞り出し、最高速度はコルト800の15km/h増の135km/hに達した。

 大衆乗用車としての実力を引き上げたコルト1000Fは、徐々に市場での人気を高めていく。また、この頃から三菱は1000Fを駆ってモータースポーツにも本格参戦。とくにラリーのフィールドでは好成績を残し、ファンから1000Fの高性能ぶりが熱く語られるようになった。一方、開発現場では1000Fのバリエーション拡大が検討される。最大のテーマとして掲げられたのが、利便性の向上。荷物がたくさん積めて、しかもその積み下ろしが楽な仕様に仕立てるには−−。最終的に開発陣は、リアにハッチゲートを設けることに決定する。リアピラーが緩やかに傾斜するファストバックボディなら無理なくハッチゲートが装着でき、しかもスポーティなスタイルを損なうことなく利便性が高まる、と判断したわけだ。また、開発陣は室内のシートアレンジにも着目。後席のシートバックには3段リクライニングとともに前倒れ機構を装備し、容易に荷室空間の拡大を可能とする。さらに、荷室のフロア面を高級化粧板製とし、着脱ができる折り畳みテーブル機能を持たせた。

 ハッチゲートを組み込んだコルト1000Fは、“3ドア”のグレード名をつけて1967年10月に発表される(発売は同年12月)。キャッチフレーズは「あなたのカーライフを広げる3ドアセダン」(実際はセダンではなくハッチバックボディ)。レジャーからビジネスユースに至るまで、多用途性に優れる3ドア仕様は、ファミリーカーとしての1000Fに新たな魅力をもたらした。

4ドアと1.1リッターモデルを追加

 コルト1000Fの車種設定の拡大は、まだまだ続く。1968年8月になると、国産車初の4ドアファストバックセダンとなる“4ドア”を追加。同時に、EK44型1088cc直4OHVエンジン(58ps)を搭載した「1100Fスポーツ」をリリースする。同年10月にはSUツインキャブレターを組み込んだ「1100Fスーパースポーツ」を設定。翌1969年5月にはマイナーチェンジを実施し、1100Fが「11(イレブン)F」に車名変更するとともに、1000Fシリーズは廃止となった。

 1960年代後半に渡って三菱のファミリーカーとして地道に進化を続けたコルト1000F/1100F→11Fシリーズは、1969年10月に実施された内外装のマイナーチェンジを最後にその歩みを止める。実質的な後継を担ったのは、新世代三菱車の象徴で、流行のダイナウエッジラインを採用した1969年12月デビューの「コルト・ギャラン」だった。

海外ラリー挑戦は「コルト1000F」から始まった

 コルト1000F・3ドアの発表と同月(1967年10月)に開催された第14回東京モーターショーにおいて、三菱重工業の自動車部門はラリー仕様のコルト1000Fを雛壇に上げる。ショーの前にオーストラリアで行われたサザンクロスラリーの出場車を出展したのだ。

 ラリー車は、三菱初の海外ラリーへの本格参戦マシンとして、市販車のコルト1000F・2ドアをベースにシャシーの補強やサスペンションの強化、ガソリンタンクの増量、4連フォグランプの装着。977ccという小排気量ながら卓越した走りを披露し、総合で4位、Fクラスで優勝という、初参戦としては異例の好成績を成し遂げる。また、1968年には改良版ラリー仕様のコルト1000Fが国内ラリーで大活躍。TROマーチラリーやJMC創立10周年記念ワイドラリーなどでトップに輝いた。後にギャランやランサーに引き継がれる“ラリーの三菱”の歴史は、このコルト1000Fから始まったのである。