サニー1200GX 【1970,1971,1972,1973】

抜群の運動性能を誇った2代目のスポーツ車

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第2世代サニーの登場

 第2世代となるB110型系サニーは、最大のライバルであるトヨタ・カローラを明確に意識した「隣りのクルマが小さく見えます」というキャッチコピーとともに、1970年1月に市場デビューを果たす。

 “豊かさ”を表現したスタイリングは従来のB10型系よりも大きく、豪華なイメージに一新され、室内空間もクラス最大級の広さを誇った。また、足回りには前・マクファーソンストラット/後・二重防振機構付き半楕円リーフの新サスペンションを、空調にはヒーターファンを利用したクラス初のオートベンチレーションシステムを、インスツルメントパネルには全面パッドを配した衝撃吸収構造を採用するなど、機構面でも先進性を主張していた。

 動力源には、新たに設計したA12型1171cc直4OHVエンジンを搭載する。アルミ合金製のヘッドにF770メタル材のクランクシャフト軸受け、5ベアリング式クランクシャフトなどを組み込んだA12型ユニットは、68ps/6000rpmの最高出力と9.7kg・m/3600rpmの最大トルクを絞り出した。

高性能モデルの追加

 第2世代の先進イメージを高めるために、開発陣はB110型系サニーのスポーツ仕様の企画も鋭意、推し進める。
 キーポイントとなるエンジンは、標準のA12型ユニットをベースにハイカムシャフトや3層ケルメットベアリングなどを採用。さらに、燃料供給装置にSUツインキャブレターを、排気系にはデュアルエグゾーストをセットする。圧縮比は標準の9.0から10.0にまで高めた。得られたパワー&トルクは標準比15ps/0.3kg・mアップの83ps/6400rpm、10.0kg・m/4400rpmを実現。最高速は同比10km/hプラスの160km/h、0→400m加速は同比1.9秒短縮の16.7秒に達した。

 高性能エンジンを支える足回りには、専用チューニングのサスペンションが採用される。内外装の演出にも工夫が凝らされ、専用デザインのエンブレムやボディストライプ、ブラックトーンで統一したインテリアカラーなどが組み込まれた。

 B110型系サニーの高性能版は、“1200GX”のグレード名を付けて1970年4月に市場に送り出される。ボディタイプは2ドアクーペと4ドアセダンの2種類を用意。車両価格はシリーズ中最高クラスの60万5000円〜63万円(東京標準価格)に設定された。

 市場に放たれたサニー1200GXは、OHVのヘッド機構ながら高回転までよく回るエンジン特性や鋭いアクセルレスポンス、クーペで705kg/セダンで710kgという軽量なボディなどが走り好きから大好評を博し、たちまち人気モデルに成長する。最大のライバルである2代目カローラ(1970年5月デビュー)にもスポーツ仕様は存在し、1200GXシリーズの登場から半年ほどが経過した後には1.4Lエンジン(T型)仕様のカローラもラインアップに加わったが、それでもサニー1200GXの人気は衰えなかった。当時の日産スタッフによると、「よく回るA12エンジンや軽量ボディが生み出す俊敏な運動性能が高く評価された。ワインディングでは排気量で勝るT型エンジンを積むカローラよりも速く走れた」という。

5速MT仕様のデビュー

 サニー1200GXは、デビュー後も着実な進化を図っていく。1972年1月にはシリーズ全体のマイナーチェンジが実施され、GXグレードも内外装の意匠を変更。同年3月になると、GXグレードに3速ATの“ニッサン・フルオートマチック”仕様が追加される。そして同年8月には、直結型の5速トランスミッションを組み込んだ「1200GX-5」のクーペとセダンが市場に放たれた。

 1200GX-5の5速MTは、スカイライン2000GT-RやフェアレディZなどに採用して好評を得ているサーボシンクロを使った新設計のトランスミッションで、ギア比は1速3.757/2速2.374/3速1.695/4速1.254/5速1.000とクロスレシオに設定する。シフトゲートのレイアウトは、左下が1速となるレーシングパターンに仕立てた。また、1200GX-5はサニー・シリーズの最上級モデル(東京標準車両価格はセダン63万円/クーペ65万5000円)に位置したため、内外装にも専用のアレンジが施される。外装ではハニカム形状のフロントグリル(セダン)や“GX-5speed”エンブレム、アクセントストライプ、熱線入りリアウィンドウを装着。内装には高級トリコット地シートや木製ステアリング&シフトノブなどが組み込まれた。

 ちなみに、1200GX-5の登場から2カ月ほどが経過した1972年10月には、第19回東京モーターショーの舞台において新しいサニー・クーペが参考出品される。黄色いボディのノーズに収められていたのは、何とロータリーエンジンだった。当時の発表資料によると、排気量は500cc×2ローターで、吸気方式にはNSUと同じペリフェラルポート式を採用(マツダのロータリーはサイドポート式)。また、レシプロエンジンのピストンリングに相当するパーツには、やはりNSUと同じフェロティックと呼ぶ結合金を使用(マツダは特殊カーボンのアペックスシール)していた。

 日産のロータリーエンジンは量産時にはサニーではなく2代目シルビアに積み込まれることが決定し、製造工程には専用の工作機械も設置される。しかし、この段階になって予想外の出来事が現場を襲う。1973年10月6日に勃発した第4次中東戦争に端を発する“オイルショック”だ。原油価格は3カ月あまりで3.5倍にまで上昇し、やがて「燃料消費の多いロータリーは悪いエンジン」というレッテルが貼られるようになる。この状況のなか日産の首脳陣は、ロータリーエンジンの量産化計画の中止を決定。結果的に日産製ロータリーは、お蔵入りすることとなったのである。

量産車としては終焉を向かえたが……

 5速MTの設定などで走りの性能を高め、モータースポーツの世界でも大活躍したサニー1200GXシリーズ。しかし、第2世代サニーの全体の販売成績は、初代モデル以上にカローラとの差が大きくなっていた。搭載エンジンは1.2Lから1.6L、モデルタイプも標準仕様から豪華バージョン、スポーツモデルまでを豊富に取り揃えていたカローラに対し、サニーのラインアップはどうしても見劣りしてしまったのである。

 結果的に日産の首脳陣は、サニーの全面改良を早める方針を決断。B110型系の登場からまだ3年4カ月ほどしか経過していない1973年5月に、第3世代となるB210型系をデビューさせた。
 このまま市場から消え去るかに見えたB110型系のサニー。しかし、同車は別の舞台で注目を浴び続ける。モータースポーツのツーリングカーレースだ。大きく重くなったB210型系はレースのベース車には不向きで、サニーが第3世代に切り替わった後も多くのチームがB110型系を使用していた。そして、B110型系ユーザーからホモロゲーションの延長が求められ、時のレース管理団体もこれを認める。最終的にB110型系サニーは、市場デビューから12年も経過した1982年のシーズンまでサーキットを駆け回ったのである。