フェアレディ2000 【1967,1962,1963,1964,1965,1966,1968,1969】

気骨あふれるスパルタン・スポーツ

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フェアレディ2000は圧倒的な性能が魅力の “貴婦人”。
トップスピード205km/hを誇り、
ゼロヨン加速は当時日本車最速の15.4秒。
トラディショナルな2シーターオープンながら、
鮮烈なパフォーマンスでモータースポーツでも大活躍した。
ドライビングには相応のテクニックを必要としたが
それさえも魅力だったスパルタン・スポーツ。
アメリカでも愛された国際派レディである。
310系フェアレディの最終進化

 その“貴婦人”というネーミングとは裏腹の、気骨あふれるリアルスポーツ、それがSR311型フェアレディ2000の本質だ。

 フェアレディ2000は、1961年(昭和36年)秋の第8回全日本自動車ショーに参考出品され、その1年後の1962年10月に市販を開始したSP310型フェアレディ1500の最終発展版である。SP310型はブルーバード用をベースにしたシャシーにセドリック用の1.5Lユニット(71ps/11.5kg・m)を搭載したオープンFRスポーツで、完成間もない鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリで見事に優勝を飾ったことでも有名なモデルだ。

 SP310型は、1964年6月にツインキャブ仕様の80psに進化、1966年5月には新開発のR型1.6Lユニットを得て、さらにスポーツ性を鮮明にしていく。R型ユニットを得たフェアレディ1600の型式名はSP311型。90ps/6000rpm、13.5kg・m/4000rpmを発揮するショートストロークのR型ユニットのもたらすパフォーマンスは鮮烈でトップスピードは165km/hに達し、ゼロヨン加速を17.6秒で駆け抜けた。ポルシェシンクロを得た新世代4速トランスミッションや前輪ディスクブレーキの採用とも相まって、フェアレディ1600は国際水準を抜くパフォーマンスを持ったオープンスポーツとして高い評価を獲得する。足回りとのバランスもよく、ワインディングロードでの楽しさも一級品。フェアレディはSP311型で完成の域に達した。

さらに高みを望む声!

 しかし、1600でもまだ不十分と感じるユーザーが存在した。アメリカのスポーツカー・ユーザーである。フェアレディの主要マーケットは日本ではなくアメリカ。フェアレディはアメリカ市場で拡大しはじめた日本車の先進イメージを牽引するイメージリーダーの役割を担っていた。だからこそ英国生まれのMGBやトライアンフTR4を凌駕する圧倒的な性能が求められたのだ。

しかし1600のパフォーマンスは1.8LのMGBと同等、2LのTR4には見劣りした。まして機敏さでは勝るものの大排気量V8ユニットを搭載したアメリカンモデルの足元にも及ばなかった。アメリカのマニアはどんなシーンでも圧倒的に速いフェアレディを求めた。過剰なほどの性能が求められたのだ。メーカーの上層部にもこの声は届く。その結果、絶対性能でV8モデルに負けないスーパーモデルの開発こそ、フェアレディ、ひいてはアメリカで日産(当時のブランド名はダットサン)のイメージを引き上げるのに必要という結論に達する。

究極となるSR311型の誕生

 フェアレディはさらにハイパフォーマンスを目指した。その究極がSR311型を名乗るフェアレディ2000である。搭載したエンジンはハイチューン版の2L直4ユニット。フェアレディ史上初のOHCレイアウトを持つU20型である。もともと1.5Lユニットを搭載するためのスペースしかないエンジンルームには、マルチシリンダー大排気量ユニットを搭載することは物理的に不可能。4気筒U20型は最善の選択だった。

排気量は1982ccでソレックス製44PHHキャブを2連装し145ps/6000rpmの最高出力と、18kg・m/4800rpmの出力とトルクを絞り出す。1600と比較して出力で61%、トルクで33%もの向上である。パフォーマンスは目覚ましい。トップスピードはついに200km/hの大台を超え205km/hに到達。ゼロヨン加速はさらに鮮烈で僅か15.4秒で走りきった。このタイムは、あのトヨタ2000GTやコスモ・スポーツを凌ぎ、当時国産最速を誇った。アメリカンV8スポーツを蹴散らすにも十分な水準である。

 増強したパワーに対応しトランスミッションは5速に進化しクラッチも強化版となった。足回りも一段と固められた。フロントがダブルウィッシュボーン、リアがリーフ・リジッドというトラディショナルな型式こそ1600と共通だが、スプリングレートは大幅に高められ、リアにはトルクロッドがプラスされる。ホイール幅はワイドリムの4.5Jが奢られた。

相応の腕を必要とする本格派

 フェアレディ2000のパフォーマンスは、日本はもちろんアメリカのユーザーにも衝撃を与えた。とくに、おとなしいルックスからは想像できない強烈なダッシュ力は、SR311の大きな個性となった。アメリカのユーザーはトップスピード以上に加速力を重視する傾向があるが、その嗜好にSR311のキャラクターはピタリと合っていた。SR311はアメリカ市場で英国製スポーツカーを蹴散らし、トップセラーに躍り出る。フェアレディは後に続くクローズドボディの“Z-CAR”で不動の人気を獲得するが、その環境を整えたのはオープンボディのSR311型だったのだ。

 ただし圧倒的なパフォーマンスを手に入れたSR311型は、性能をフルに発揮させるのに相応の覚悟とテクニックを必要とした。ハイチューン版の2Lユニットは、始動させるにも“儀式”が必要で、不用意にスロットルを踏み込みながらセルを回すと点火プラグが湿り目覚めなかった。キャブレターのセッティングにもコツを必要とし、本当に速く走るためには高回転域をキープする必要があった。

 それ以上に強烈だったのは145psを支える足回りである。ステアリングは非常に重い。現在のパワーステに慣れたドライバーには交差点を曲がるだけでもひと苦労に違いない。ワインディングロードでは渾身の力を込めステアリング操作に集中する必要があった。しかもキックバックも強烈。路面の荒れが正直にステアリングに伝わるため、うっかりすると突き指をする。足回りも固い。飛ばすほどにフラットに変化する性格ではあったものの、通常走行時のスパルタンさは、当時の水準でも相当だった。洗練されたトヨタ2000GTの走り味が“ジェット機”と評されたのに対し、フェアレディ2000は“プロペラ戦闘機”と表現された。現代のレベルではトヨタ2000GTでも相当にスパルタンなのだが……フェアレディ2000のハードな走りには、いつしか“レーシング・トラック”というニックネームが付いた。

スパルタン、それが最大の個性

 しかし、そのスパルタンさは圧倒的な速さの代償。マニアには、乗りこなしがいのある本格派と映った。スポーツカーにとってスパルタンさはいわば勲章なのだ。乗用車とっては “欠点”でも、スポーツカーにとっては“個性”のひとつなのである。

 SR311型は、パフォーマンスを生かしモータースポーツ・シーンでも大活躍する。1967年5月の第4回日本グランプリでは1〜3位を独占。アメリカでもスポーツカー・レースで数々の勝利をものにした。クラブマン・レースを含めれば、その勝利数は数えきれないほどである。

SR311型は1967年11月に、アメリカの安全基準に適応させるためのリファインを実施する。転覆時の安全性確保のため、ウインドシールドが高められ、シンプルなデザインとなったインパネにはクラッシュパッドを追加。ヘッドレストや衝撃吸収式ステアリングコラムも標準装備となった。3角窓がはめ殺しとなったのもこのタイミングである。1968年にはHT標準装着のモデルを設定し、11月にはリアコンビランプやフェンダーミラーをリファインする。生産終了は1971年。フェアレディZの登場後にも継続生産されたのは、そのハイパフォーマンスと荒々しい走り味が多くのファンを獲得していたことのなによりの証明である。

COLUMN
左ハンドルから始まったフェアレディの歴史
 “フェアレディ”の名を始めて名乗ったのは1960年に発表されたSPL212型である。SPL212型は前年に発表されたダットサン・スポーツS211型の発展版で、エンジンを1L(34ps)から1.2L(43ps)に拡大しトップスピード125km/hを実現した2+2モデルだった。スタイリングこそフルオープンでスタイリッシュだったが、性能的にはまだまだ未熟。スポーツカーのムードを楽しむクルマといえた。興味深いのはSPL212は輸出専用で左ハンドル車のみの生産だったこと。車両型式の最後のLが左ハンドルであることを示している。SPL212型は、ボディ材質をS211型の軽量ガラス繊維強化プラスチック(FRP)から通常のスチールに変更していた。これは生産性の向上と、輸出市場での補修のしやすさを考慮しての選択だった。SPL212型は1960年10月にエンジンを55psに増強しトップスピード130km/hのSPL213型に発展する。SPL212&213型の初代フェアレディは、販売状況こそさほど芳しくなかったがスポーツカーの市場調査という面でさまざまな教訓をメーカーにもたらした。それが次世代のフェアレディに実を結ぶのである。