69日産フェアレディZ432 vs 67トヨタ2000GT 【1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973 】

高性能で魅了した2台のグランツーリスモ

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高性能スポーツモデルの開発推進

 1960年代後半の日本の自動車市場は、自家用車の保有台数の急増や新型モデルの相次ぐデビューなど、いわゆる“モータリゼーション”が急速に進展していた。
 この状況のなかで、激しいシェア争いを繰り広げていたトヨタ自動車工業と日産自動車は、自社の技術を結集したスポーツモデルの開発を積極的に推し進める。

 当時の日本車は、欧米車に比べてまだまだ性能が劣るといわれていた時代。高性能スポーツモデルの開発によって欧米の自動車造りの技術に追いつき、さらに日本の自動車市場における自社の技術力の高さをユーザーに知らしめ、トップメーカーとしての地位を決定づけることが、スポーツモデルの開発推進の背景にあった。

日本初の本格グランツーリスモの登場

 トヨタ自工の高性能スポーツ車の企画は、1台のモデルに集約して開発が進められる。ヤマハ発動機と共同で手がけた試作版は、まず1965年10月に開催された第12回東京モーターショーに「トヨタ2000GT」の名で初公開された。1966年5月には、完成度を高めたプロトタイプが第3回日本グランプリに参戦して3位に入賞。翌6月の鈴鹿1000kmレースでは、クラスのワン・ツー・フィニッシュを達成した。また、同年10月には茨城県の谷田部高速試験場において高速耐久トライアルを敢行し、3つの世界記録と13の国際新記録を樹立する。さらに同月開催の第13回東京モーターショーでは、映画『007は2度死ぬ』のボンドカーとして使われるコンバーチブル仕様を出展した。

 公開の場での様々なテストやティーザーキャンペーンを展開したトヨタ2000GTは、1967年5月になってようやく市場での販売が開始される。X型バックボーンフレームと前後ダブルウィッシュボーンサスペンションの上に被せられるボディは、リトラクタブルライトを配したロングノーズとファストバックの組み合わせによる流麗なスタイリングを採用。内装の演出も豪華で、ローズウッド材のインパネやレザー表地のバケットシートなどが奢られていた。搭載エンジンは3M型1988cc直6DOHCで、ソレックス・ツインチョーク・キャブレター3連装との組み合わせによって150ps/6600rpm、18.0kg・m/5000rpmのパワー&トルクを発生する。性能面では、最高速度220km/h、0→400m加速15.9秒、0→100km/h加速8.6秒に達した。

 市販に移されたトヨタ2000GTは、その車両価格でも大きな注目を浴びる。トヨタ自工の旗艦であるクラウンの約2倍となる238万円という値札をつけていたのである。トヨタ2000GTは技術力の高さと同時に、高嶺の高級グランツーリスモとしても市場に印象づけられたのだった。

名機S20を搭載したZカーのデビュー

 1台の高性能グランツーリスモで技術力の高さを訴えたトヨタ自工に対し、最大のライバルである日産自動車は別の戦略をとった。数台のスポーツモデルによって、自社の技術力をユーザーにアピールしたのである。まずトヨタ2000GTに先駆けて1965年3月には流麗なクリスプルックを採用したシルビアを発表し、自社のデザイン力の高さを強調。1969年2月には、S20型1989cc直6DOHC24Vエンジンを積んだ高性能スポーツセダンのPGC10型スカイライン2000GT-Rを市場に送り出した。そして同年10月になると、ボディをクローズドクーペに一新した新型フェアレディが“Z”のサブネームを付けて市場デビュー。そのラインアップの中には、S20型エンジンを積む最強モデルの「フェアレディZ432」が用意されていた。

 4バルブ/3キャブレター/2カムの採用を意味する“432”のグレード名を付けたフェアレディZは、ロングノーズ&ショートデッキのスポーティなスタイリングに専用チューニングの四輪ストラットサスペンション、そして160ps/18.0kg・mのパワー&トルクを誇るS20型エンジンの採用などで高性能ぶりをアピールする。性能面に関しても、最高速度210km/h、0→400m加速15.8秒、0→100km/h加速8.2秒を誇った。車両価格はトヨタ2000GTほど高価ではなかったものの、それでも標準仕様のフェアレディZの倍近い185万円の値札を付けていた。

 日本の1、2位を競うトップメーカーが自社の威信をかけてリリースしたトヨタ2000GTと日産フェアレディZ432は、デビュー後も市場の要望に則した改良を鋭意、実施していく。
 2000GTは1969年8月にマイナーチェンジを敢行。一部エクステリアデザインに手を加えるとともに、AT(トヨグライド)仕様の設定やラジエター材質の変更(スチール→アルミ)などを実施した。一方のフェアレディZ432は、1970年10月にレギュラーガソリン仕様の追加を、1971年10月にオルタネーターやデファレンシャルギア比の変更などを、1972年9月にはブレーキのマスターシリンダーの大型化などを行い、クルマとしての完成度を高めていく。また、FRP製フロントフードやアクリル製ガラス(サイド/リア)を採用した上でラジオおよびヒーターの装備を省いて軽量化したレース仕様のフェアレディZ432“R”も設定された。

 日本の高性能スポーツモデルとして君臨した2台は、しかしその高コスト体質や排出ガス規制対策などの理由から徐々に販売は縮小され、最終的にトヨタ2000GTは1970年8月に、フェアレディZ432は1973年9月に生産を中止する。トータルでの生産台数はトヨタ2000GTが337台、フェアレディZ432が419台あまりであった。