新聞広告で見る日産の歩み/1980-1982 【1980,1981,1982】

技術イメージとニューモデルを積極訴求

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


ターボの多面性を訴求する新手法

 ターボの投入で高性能イメージを印象づけた日産は、新聞広告でもターボを積極的にアピールする。しかも単にターボのパワフルな側面だけでなく、燃費に優れるエコノミー性能にもスポットライトを当てた。

 1980年9月に新聞紙上を飾った広告は「兄貴たちはパワーだけでターボに憧れた。僕たちはいま、燃費でもターボを選ぶ。」のキャッチコピーを採用。ターボは1980年代が要求する“Power & Save”なキャラクターを持つ新世代エンジンであることをアピールする。同時にセドリック/ブルーバード/スカイライン/グロリアの写真を掲載し、日産の多彩なターボ・ラインアップ訴求も忘れなかった。メインビジュアルにガレージでメンテナンスする若者の写真を配置する手法はお洒落。「若さの選択。先進技術で選ぶと日産になる」という広告の語りかけが素直に頷ける秀逸な仕上がりと言えた。

新発想コピーでフレッシュを表現

 ターボと同時に日産が時代を先駆けるフレッシュなクルマを送り出したのもこの時期である。1980年6月のサファリの誕生広告は印象的だった。サファリは本格クロスカントリー4WDながら、日常ユースでの快適性も追求した新世代。クルマの行動半径を広げたニュージャンルである。それだけに「4WDは人間が発明したもうひとつの翼なんだ」というキャッチコピーには説得力があった。“僕たちの地球は、またひとつ面白くなった”という語りかけも新しさをうまく表現していた。アフリカの大地を走るサファリのビジュアルは、スケールの大きな走りを予感させ、どこかに出掛けたくさせたのだ。ひと足先にデビューしていたダットサン4WDの写真も掲載し「サファリかダットサンか。四輪駆動シリーズ完成。」の呼びかけも目を惹いた。

スカイラインのキャラクターにポール・ニューマンを起用

 有名人の起用もさらに積極的になった。1981年8月に登場した6代目スカイラインにはハリウッドスターのポール・ニューマンを起用。ポール・ニューマンは自身レースに参戦するほどのクルマ好きとして知られていただけにスカイラインの走りのイメージとリンクした。ポール・ニューマンの優しい笑顔は、スカイラインの上質さを想像させ、新型の評判は一気に高まった。ちなみに7代目は“ニューマン・スカイライン”のニックネームで呼ばれた。

マーチは車名募集で登場前から話題を喚起

 1982年発売の初代マーチの広告戦略は印象的だった。発売1年前の1981年10月30日の新聞紙上で展開された広告がそのスタート。キャッチフレーズは「ステキな名前をつけてください」。1966年正月の初代サニーの車名募集の再現だった。1ヵ月後には「サニーの名づけ親は兄貴たち。新しい1000ccに名前をつけるのは、僕たちだ。」と呼びかける広告が登場する。

 すでに東京モーターショーでプロトタイプが発表されていただけにスタイリング写真がメインビジュアルとして採用された。12月に入ると「ステキな名前、ぞくぞく集まる!」「私たちが選びます。ステキな名前」「まだまだありそう。ステキな名前」といった広告が集中的に掲載され、年が明けても「初夢を正夢に。ステキな名前で1000cc車、海外旅行」と続いた。「その名はNISSANマーチ」と発表されたのは1982年3月。そして10月、当時アイドルだった近藤真彦をメインキャラクターに「マーチが街にやってきた。逢いにおいでよ、マッチのマーチ」の登場広告が新聞1ページ前面を使って掲載された。キュートでクリーンなスタイリングと広い室内、そして経済的でキビキビとした走りを持つマーチは、その名にふさわしいフレッシュな存在だった。