ファミリアGT-R 【1992,1993】

WRC制覇のために開発されたスーパー4WD

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第7世代ファミリアのデビュー

 昭和の最終年となった1989年、マツダは2月に2台のシンボリックな新型車を発表した。1台はシカゴ・オートショーでワールドプレミアを飾ったMX-5ミアータ(ユーノス・ロードスター)で、後に大ヒット作に昇華してライトウエイト・オープンスポーツの世界的なブームを創出する。そしてもう1台が、“ついに、楽しいクルマです”のキャッチフレーズを冠して7代目に移行した中核モデルの新型ファミリアだった。

 BGの型式名をつけた7代目ファミリアは、3ドアハッチバックと4ドアセダンはそのままに、5ドアハッチバックを別展開の「ファミリア・アスティナ」としてリリースする。低くて流麗なクーペ風のフォルムにリトラクタブルライトを組み込むスポーティなフロントマスクを採用したアスティナは、それまで実用車然としていた5ドアハッチバックとは一線を画していた。アスティナのコンセプトをとくに高く評価したのは、ハッチバック人気が高いヨーロッパだった。欧州市場には「323F」として輸出され、販売台数を大きく伸ばした。

 安定感のある台形フォルムに力強いCピラーとブリスター形フェンダーを採用した3ドアハッチバックと4ドアセダンも、その質感の高さやスポーティなアレンジなどが好評を博す。とくに4ドアセダンを「プロテジェ」のネーミングで販売したアメリカ市場では、BP型系1.8l エンジンの高性能さと各部の信頼性の高さも相まって、ユーザーから高評価を獲得。やがて同市場での基幹車種に成長した。

フルタイム4WDモデルのGT-Xを追加

 日本市場では従来型に設定されていたファミリアの4WDスポーツモデル、「GT-X」のモデルチェンジが待ち望まれていた。その期待は、1989年8月に具現化される。3ドアハッチバックボディに180ps/24.2kg・mのパワー&トルクを発生するインタークーラーターボ付きBP型1839cc直4DOHC16Vエンジン、そしてスポーツ走行に最適な前後駆動力配分43:57というフルタイム4WDシステムを採用した、新しいGT-Xが登場したのだ。

 新型GT-Xは早速、マツダのラリーチームに持ち込まれ、テストを重ねながらWRC(世界ラリー選手権)参戦に向けたグループAラリー仕様に仕立てられる。ファミリアの欧州名323のGT-Xが初陣を飾ったのは、1990年シーズンの1000湖ラリー。ここでティモ・サロネン選手が総合6位に入るという健闘を成し遂げた。

優れたシャシー性能を生かしたリファインを決断

 その後も323GT-XはWRCで好成績をあげるものの、グループAでの総合優勝はなかなか果たせなかった。2リッター級ターボエンジンを積むライバル車に対して、どうしてもエンジン出力の面で劣っていたからである。ただし、シャシー性能は非常に高く、改造範囲が小さいグループNでは1991年シーズンにドライバーズチャンピオン(グレゴワール・ド・メビウス選手)を輩出するほどの実力を有していた。

 グループAを制覇するためには、もっとエンジンパワーが必要だ−−。マツダの開発陣は、知恵を絞ってBP型エンジンの改良に勤しむこととなった。ちなみに、エンジンの排気量アップで対処しなかったのは、「せっかくの高いシャシー性能が活かしきれない可能性があった」からだという(当時のマツダ・スタッフ談)。ラリー仕様GT-Xのハンドリング性能は、ドライバーから極めて評判が高かった。その特性を崩すことは、マシンの戦闘力アップには決してつながらない、それに耐久性を損なう恐れも大きい−−そんな判断が、既存のBP型エンジンの改良という方策を選ばせたのである。

 BP型エンジンの改良は、「実質的な排気量アップに相当する過給システムの進化」という手法で行われる。ターボチャージャーはタービン径を従来のΦ52.5mmからΦ62mmへ、コンプレッサー径をΦ52.5mmからΦ65mmへと一気に大型化。同時に、メタル製タービンや大径デューティバルブを備えたウェストゲートなどを組み込んで耐久性を引き上げる。結果として、最大熱効率時の空気流量は従来比で約1.8倍に達した。さらに、水冷式の軸受部にはボールベアリングを採用し、抵抗を軽減することでターボの大型化によるタービンのレスポンス悪化を打ち消している。組み合わせるインタークーラーは横置きからフロント前部への縦置きに変更。そのうえで、コアサイズを従来より約70%拡大し、冷却能力は約37%アップの6150Kcalを実現した。また、インナーフィン配列はオフセットとし、冷却効率を高めている。これに合わせて、フロントバンバーは大型化したうえでエアインテーク部を拡大。同時に、フロントフードにも3連バルジを設けて、発熱量の多い実戦での耐ノッキング対策を担うエアアウトレットとしての機能を持たせた。

WRC制覇を目指したスーパーウェポンの開発

 過給システムによるパワーアップに則して、エンジン本体にも改良を加える。ピストンにはクーリングチャンネル付きアルミハイキャストタイプを採用。また、トップリングの溝にニッケルセルメット発泡体を溶融結合させ、耐摩耗性の向上を図った。

 ピストンとクランクシャフトを連結するコネクティングロッドについては、従来のグループAマシンにも導入するケルメットメタルを用いる。耐圧性が極めて高い同素材は、過酷な走行条件でも抜群の耐久性を発揮した。一方、排気バルブはステム内を中空で仕立て、内部に金属ソジュームを封入した専用品を装備する。バルブが高温になると金属ソジュームが溶融し、バルブの上下動に応じてステム内を移動。首部から熱を吸収し、バルブを冷却する仕組みだ。

 ほかにも、排気抵抗の低減を図ったフェライト系鋳鋼エグゾーストマニホールドや放熱量を高めたオイルフィルター一体型の水冷式オイルクーラーなどを組み込んだ改良版BP型ユニットは、市販モデルで最高出力210ps/6000rpm、最大トルク25.5kg・m/4500rpmを発生。WRC参戦時でのグループAチューニングでは300psオーバーを絞り出した。

シャシーに磨きをかけベストハンドリングを実現

 開発陣はエンジンパワーの向上に合わせて、シャシー性能にも磨きをかける。フロントサスペンションはロアのA型アームのフロント側取り付け点をホイールセンターの真横に置き、有効な高剛性を確保。そのうえで、ホイールアライメントはトーイン2mm、キャンバー−0.45度、キャスターアングル2.45度に設定する。

 リアサスペンションは台形に配置した2本のラテラルリンクとトレーリングリンクで構成し、ホイールアライメントはトーイン2mm、キャンバー0.20度に設定した。また、リアに入る駆動力を積極的に活用し、後輪のトーとコントロールするSSサスペンションを導入する。さらに、前後サスともにダンパーとコイルスプリング、各ジョイントのブッシュを固め、スタビライザー径もアップさせた。一方、操舵機構に関してはラック&ピニオン式のステアリングギア比を15.4(ロック・トゥ・ロック2.5回転)へと速め、剛性を引き上げたサスペンションとの相乗効果でハンドリングへの応答性と限界でのコントロール性を高めた。

 ブレーキ性能の向上にも抜かりはない。ブレーキはローターの有効半径を前111mm/後122mm、厚みを前24mm/後10mmに拡大したうえで、耐フェード性に優れるノンアスベストのケブラー/アラミド繊維系のパッドを採用した大径4輪ディスクブレーキ(フロントはベンチレーテッドタイプ)を装備。ペダルストロークの短縮(0.6G時で約10mm短縮)も図る。ブレーキの大径化に伴い、ホイールサイズは15インチ(15×5.5JJ)にアップし、タイヤは195/50R15 81Vサイズを組み合わせた。

 駆動方式は前後不均等トルク配分43:57のフルタイム4WDで、センターデファレンシャルにはバリアブルトルクスプリットを自動的に行う(43:57〜60:40)ビスカスLSDを組み込む。また、リアのデファンレシャルにもビスカスLSDを配して有効な駆動力を確保した。LSDのギアはハードショットピーニングと呼ぶ鍛錬工法で製造。さらに、トランスミッションの2速/3速/4速とトランスファー側ハイポイドを同じ工法で作り、強靱さと耐久性を格段にアップさせた。

グループAでは真価を発揮できなかったものの−−

 GT-Xの進化版は、「GT-R」のグレード名を関して1992年1月に市場デビューを果たす。専用装備としてバンパー埋め込み式大径フォグランプや前後スカート付き大型バンパー、フェンダーモールアーチ、ラックススウェード&ケミカルレザー地GTタイプシート、本革巻きステアリングホイール(MOMO製)、本革巻きシフトノブ&ブーツなどのスポーツアイテムで武装したGT-Rは、FIAホモロゲーション取得のための少数生産モデルとして販売された。また、ダートトライアルやジムカーナなどの競技会へのエントリーユーザーに向けたGT-Rベースのコンペティションモデル「GT-Ae」も限定生産300台でリリースする。

 マツダの技術の推移を結集して開発したGT-Rは、早々にラリーチームがグループA仕様に仕立て、入念なテストを重ねていく。そして、1992年は熟成および改良のために費やし、1993年シーズンから本格的に勝負をかける計画を立てた。しかし、その計画は外的要因によって頓挫する。日本における急激な景気の悪化、いわゆるバブル景気の崩壊だ。販売網と車種の増強のために過大な投資を行っていたマツダは、景気後退の影響が大きく、決算は膨大な赤字に転落していく。対応策として首脳陣は、販売網の縮小やコスト削減などを相次いで実施。その一環としてWRCでのワークス活動も中止され、GT-Rの本格参戦はお蔵入りとなってしまった。

 WRCの舞台でその速さを披露しないまま車歴を終えるかに見えたGT-R。しかし、欧州のプライベートチームがその悲運な状況から同車を救った。グループN仕様の323GT-Rが1993年シーズンのWRCで大活躍し、ポルトガルとアクロポリス、カタルニアでクラス優勝を成し遂げたアレックス・ファッシーナ選手がグループNのドライバーズチャンピオンに輝いたのである。

 グループNマシンによって、ポテンシャルの高さの一端を示すことができたGT-R。それだけに、マツダのワークス参戦が続いてグループAモデルが熟成と進化を重ねていたら、そして三菱ランサーやスバル・インプレッサ、ランチア・インテグラーレなどと同様にエボリューションモデルが開発されていたら−−。きっとファミリアおよび323GT-Rは、WRCの舞台で輝く戦績を残し、市販版エボリューションモデルも高い人気を獲得していたに違いない。