ギャラン 【1987,1988,1989,1990,1991,1992】

歴代モデルで最もギャランらしいと称賛される傑作

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三菱車らしいミディアムクラス車を目指して--

 好景気に沸く1980年代後半の日本の自動車業界。そのなかにあって国内メーカー№3の地位を本田技研工業やマツダなどと競う三菱自動車工業は、独自の戦略を打ち出す。過大な投資を極力控え、ニッチ市場とくに4WD車市場の開拓や海外メーカーとの新たなる提携、そして既存モデルのインパクトのある全面改良で勝負したのだ。

 既存モデルの全面改良に際してとりわけ力を入れたのが、上級化および個性化の波が激しいミディアムクラス、具体的にはギャランΣの刷新だった。新型の開発コンセプトには「自分の感性のこだわりに沿って生活のすべてを構成していきたいユーザーに向けた本物志向のクルマ」を掲げ、後にキャッチフレーズを“INDIVIDUAL 4DOOR”とする。ボディタイプは4ドアセダンの1本に絞り、そのぶん内外装のオリジナリティ性の強調や新機構の積極採用などを計画した。ちなみに、兄弟車でカープラザ店向けのエテルナΣは、「三菱自工トータルで考えると、基本的に同じセダンを販売するのには無駄がある。市場シェアを今以上に伸ばすためには、異なるボディ形状を用意してユーザー層の拡大を図るほうがメリットは大きい」という考えから、欧州市場で人気の高い“5ドアハッチバック”のボディ形状を採用する決定をした。

斬新なデザインと新機構の積極採用

 次期型ギャランのスタイリングに関しては、サイドセクションにS字断面を導入した“オーガニックフォルム”を基本に、三菱伝統の逆スラントノーズやグリップ式のドアノブ、リアサイドに組み込んだクオーターガラスなどでオリジナリティを強調する。また、車高の低いスタイルが流行だった当時のミディアムクラス車のなかにあって、居住空間を重視した背の高いフォルムを採用した。

 インテリアについては、上級感の引き上げとともに機能性の向上を重視してデザインする。インパネは2段式で構成し、そこにダイヤル式の空調スイッチや大型タイプのメーター、新造形の3本スポークステアリングなどを組み込んだ。フロントシートには面圧分布に工夫を凝らしたうえでサポート性も引き上げた新造形タイプを装着する。また、各部の操作性はもちろん、ドアトリムやスイッチなどの “触感”にも徹底してこだわった。

 メカニズム面では、当時の三菱の新技術を積極的に採用する。とくに最強グレードには、1気筒当たり4バルブのDOHCエンジン(インタークーラーターボ付き4G63型1997cc直4DOHC)、VCU制御センターデフ式4WDシステム、同相式の4WS、4輪独立懸架のサスペンション、4輪ABSを採用。この4VALVE ENGINE/4WD/4WS/4IS/4ABSで構成する新システムを、総称して“ACTIVE FOUR”と呼んだ。

 また、自然吸気の搭載エンジンは4バルブDOHCのヘッドを採用した4G63型1997cc直4DOHCを筆頭に、熟成を図った4G32型1597ccと4G37型1755ccのサイクロンエンジンをラインアップ。これらのユニットは、ローラロッカアームの採用やエンジン本体の傾斜搭載化、新インテークマニホールドの装着などを実施した。組み合わせるトランスミッションには5速MTと2モードELC4速ATを設定。駆動機構にはFFとフルタイム4WDを用意する。懸架機構はフロントにマクファーソンストラットを、リアに3リンク・トーションアクスル(FF)/ダブルウィッシュボーン(4WD)を採用。FFの上級モデルには“ACTIVE ECS”と称する最新の電子制御サスペンションを組み込んだ。

“INDIVIDUAL 4DOOR”を謳ってデビュー

 1987年10月、∑のサブネームを廃した新型ギャランが市場に放たれる。第6世代となるギャランは、キャッチフレーズに前述のように“INDIVIDUAL 4DOOR”を掲げた。

 グレード展開は4G32型1597cc直4OHCエンジン(79ps)搭載のME/GE/G、4G37型1755cc直4OHCキャブ仕様(85ps)のMF/GF、同インジェクション仕様(94ps)のMS/VS、4G63型1997cc直4DOHCエンジン(140ps)搭載のMX/VX/VZをラインアップする。さらに2カ月ほどが経過した同年12月になると、4G63型1997cc直4DOHCインタークーラーターボエンジン(205ps)を含む“ACTIVE FOUR”を採用したVR-4と、NAの4G63型1997cc直4DOHCエンジンにフルタイム4WD機構を組み合わせたVX-4を発売。同時に、競技用ベース車となるVR-4 Rを100台限定でリリースした。

栄えある「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞

 ギャランの数ある車種ラインアップのなかでユーザーが最も熱い視線を注いだのは、ACTIVE FOURの新機構を盛り込んだ最強モデルのVR-4だった。強力な加速や優れたトラクション性能といったパフォーマンスはもちろん、エアロパーツを纏った筋肉質なスタイリングや個性を放つ内装デザインなどが、他メーカーのスポーツセダンとは一線を画していたのだ。

 VR-4を筆頭とする6代目ギャランのキャラクターは専門家からも高く評価され、三菱車として初となる日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。これを記念して、三菱自工は1988年3月にセルビアブラックの専用ボディカラーや記念エンブレム、ブロンズガラスなどを採用したVR-4カー・オブ・ザ・イヤー特別仕様を発売。さらに、競技用ベース車のVR-4 RSと4D65型1795cc直4OHCディーゼルターボエンジン(76ps)搭載車のMF/GEをリリースした。

VR-4は着実にパワーアップを実施

 カー・オブ・ザ・イヤー受賞という名誉とともに市場での販売台数を大いに伸ばした6代目ギャラン。その人気を維持しようと、三菱自工は精力的に車種ラインアップの強化やメカニズムの改良を図っていく。
 まず1988年10月には、ボディカラーや装備の見直しなどを実施。同時に、VXをベースにVR-4と同様の外装パーツを装着したVX-S、4G37型(インジェクション仕様)エンジンの4WD仕様となるMS-4とGS-4を追加する。また、共用シャシーに5ドアハッチバックボディを架装したカープラザ店向けのエテルナを市場に放った。1989年4月には4G67型1836cc直4DOHCエンジン(135ps)を新搭載したViento(ヴィエント)とMU EXTRAなどをリリースする。

 1989年10月になるとマイナーチェンジを実施。市場からの要請が多かったVR-4のAT仕様を新規にラインアップ。ATの特性に合わせて、最高出力は210psとした。一方、MT仕様は過給器などのセッティング変更を行って最高出力を220psにまで引き上げる。ほかにも、NAの4G63型エンジンの出力アップ(145ps)や内外装の刷新(デュアルロードランプやフルオートエアコンの採用等)なども敢行した。

ファインチューニングモデル、AMGの誕生

 1989年のマイナーチェンジではもう1台、注目モデルが市場デビューを果たす。ドイツのAMG社と共同で開発した「2.0DOHC AMG」がラインアップに加わったのだ。AMGは、現在はメルセデス・ベンツの1部門となっているが、当時は独立系のチューナーだった。AMGモデルの企画は6代目ギャランがデビューする前の1986年末に立ち上がり、1988年夏には最終的な仕様が決定。AMG側が内外装デザインや排気系を、三菱側がエンジンや足回りのセッティングなどを担当する。

 エクステリアでは専用のエアロパーツ(前後エアロバンパー/サイドガーニッシュ/サイドステップ/3分割式リアスポイラー/エアダムスカート/フロントグリル)やシュロスシルバーの車体色、インテリアでは専用のレザーおよびエクセーヌ地シート/本木目パネル/本木目シフトノブ/本革巻き4本スポークステアリングなどを採用。また、NAの4G63型エンジンではピストン頂面形状の変更や可変吸気インテークマニホールド/冷鍛製チタンバルブスプリングリテーナー/高回転型カムシャフトの導入、ラジエターの容量アップ、エンジンマウントの強化などを実施。駆動系では大型トランスミッション(MT=F5M31型/AT=F4A23型)の設定やミッションマウント厚のアップなどを、懸架および操舵系では高圧窒素封入式ショックアブソーバーの組み込みやステアリングギアレシオのクイック化などを実施した。

 VR-4よりも高価なプライスタグを掲げたギャランAMGは、1991年1月に価格を見直したタイプ2の設定を経て、1395台が生産される。その稀少性や特異なキャラクターは、後にギャラン強いては三菱車を語るエピソードのひとつとなった。

 1990年に入ると、まず1月に特別仕様車の「2.0DOHC TURBO SUPER VR-4」を発売する。これは前年のRACラリーでVR-4が総合優勝を果たした記念に造ったモデルで、専用ボディカラー(オニキスブラック)や本革スポーツシートなどを奢っていた。さらに4月には、量販4WDグレードのMS-4およびGS-4にAT仕様を追加する。10月なると、一部改良を敢行。VR-4はターボタービンの変更やインタークーラーの大型化、マフラー径の拡大、バルブ径の拡大などにより最高出力が240psにまでアップし、それに伴ってMTミッションのセッティング変更や足回りの強化、ダクト付きフロントフードの採用、バンパー開口部の拡大などを実施する。また、オニキスブラックのボディ色やサンルーフ、ビスカスLSD、専用デカールを装備した特別仕様車の「2.0DOHC TURBO VR-4モンテカルロ」を発売した。翌1991年には、1月に前述のAMGタイプ2や装備の充実化を図ったMU EXCEED/Viento EXCEEDを追加。6月にはEXEグレードの追加とVR-4 RSをベースに電動リアスポイラーやオートエアコン、シュロスシルバーのボディ色を配した特別仕様車の「VR-4 Armed by RALLIART」のリリースを行った。

 1992年5月になると、ギャランは3ナンバーボディに一新して上級化を図った第7世代へと移行する。同時に、ラリー直系のスポーツセダンという特性はランサー・エボリューション(1992年9月発表)に引き継がれた。“Victory Runner 4WD”ことVR-4をイメージリーダーに、アグレッシブなスタイリングと高性能な走りでユーザーを魅了した6代目ギャラン。そのインパクトの強いキャラクターは、後に「数ある歴代モデルのなかで最もギャランらしい世代」とファンから称賛されるようになったのである。

三菱のWRCへの本格復帰はギャランVR-4から始まった!

 世界ラリー選手権(WRC)は1987年シーズンより年間5000台以上(1993年からは2500台以上)を生産する市販車ベースのグループA車両をトップカテゴリーとして争われる選手権に移行したが、三菱自工および傘下のラリーアート(1984年4月設立)は、WRCにギャランVR-4を投入する計画を立てた。実行されたのは1988年。当初は全日本ラリー選手権やアジア・パシフィックラリー選手権(APRC)に参戦しながらマシンの開発を進め、同年開催のニュージーランド・ラリーにおいてギャランVR-4でのWRC初陣を飾る。ドライバーは三菱自工に所属していた篠塚建次郎選手が務めた。ちなみに、篠塚選手は1988年シーズンのAPRCでドライバーズタイトルを獲得するという偉業も達成した。

 WRC界では、大柄で背の高いスタイルから“リムジン”などと揶揄されたギャランVR-4だが、参戦を重ねるに連れて戦闘力が増し、とくにグラベルにおいて抜群の速さを見せたことから“グラベルのミツビシ”と称されるようになる。結果としても、1989年シーズンの1000湖ラリーとRACラリー、1990年シーズンのコートジボアール・ラリー、1991年シーズンのスウェディッシュ・ラリーとコートジボアール・ラリー、1992年シーズンのコートジボアール・ラリーで総合優勝を成し遂げた。