ブルーバード 【1996,1997,1998,1999,2000,2001】

セダンに統一した単独ネーム最終モデル

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日本のモーターシーンを牽引したブルーバード

 1996年1月にデビューした新型ブルーバードは、1959年のデビューから数えて記念すべき10代目のモデルだった。ブルーバードは、オーナードライバー向けサルーンとして日本のモーターシーンを牽引。1960年代から1970年代初頭にはライバルのトヨペット・コロナと熾烈な販売競争を繰り広げ、それは〝BC戦争″などと呼ばれた。また日本車として海外で認められた初のモデルでもあり、日本車のアメリカ輸出に道筋をつけたクルマとして記憶されている。

 モータースポーツシーンでの活躍も鮮烈だった。世界で最も過酷と言われる「サファリ・ラリー」で優勝を飾った初の日本車はブルーバードだった。ブルーバードは日産の優れた技術力の象徴であり、日本車の代表モデルとして代を重ねる。

 しかしユーザーニーズの多様化により、10代目が登場する1996年なると、ブルーバードの存在感は相対的に低下していた。ファミリーカーの主流は、すでにセダンからワゴンやミニバンに移行。オーソドックスなセダンを求める層は年齢層が高い一部のユーザーに限られるようになっていたからだ。また競合メーカーはもちろん、同じ日産車でもプリメーラ、プレセアなどライバルとなるセダンが存在した。ブルーバードの位置づけはかつての日産の看板車種から、多くの販売車種の1台に変化していた。

これこそブルーバード、という10代目の誕生

 10代目のキャッチコピーは「ベリーベリー・ブルーバード」。カタログでは「これこそブルーバードだ、というブルーバードができました」と語りかけ、10代目がブルーバードの復権を賭けた意欲作であることを感じさせた。ラインアップはスポーティ仕様のSSSと、端正なジェントルモデル、ルグランの2シリーズ構成。ボディタイプは4ドアハードトップがなくなり4ドアセダンのみとなった。

 スタイリングは直線を基調としたもの。SSSは4灯式ヘッドランプとハニカム形状のフロントマスク、ルグランは角型ヘッドランプと2分割形状のマスクが個性を主張した。基本フォルムは空力特性に優れたおだやかなウェッジシェイプにまとめられ、プレス式ドアを与えるなど、おとなしい印象ながら適度に新鮮さを感じさせる形状としていた。ボディサイズは全長4565mm×全幅1695mm×全高1395mm(FF)の扱いやすい5ナンバーサイズである。

 エンジンは排気量1998ccのSR20DE型・直4DOHC16V(145ps/2.0SSSリミテッドのみ150ps)を筆頭に、1838ccのSR18DE型・直4DOHC16V(125ps)と、1973ccのCD20型・直4OHCディーゼル(76ps)の3タイプ。トランスミッションは4速ATと5速MTが設定され、駆動方式はFFが基本。一部グレードで4WDが選べた。

優れた走りと安全性、それがセールスポイント

 10代目の特徴は足回りと安全装備にあった。シャシーが同クラスのプリメーラと共通となった結果、前マルチリンク式、後マルチリンクビーム式の足回りを採用したのだ。旧型と比較しロードホールディング性能は大幅に高まり、SSS系はもちろん、ルグラン系でも欧州車フィーリングの優れた操縦安定性を実現していた。この足回りは4輪が路面に対して常に垂直を保つためタイヤのグリップ力を最大限に引き出せることがメリットで、ハンドリングだけでなく、乗り心地もしなやかだった。

 安全装備は、全車に運転席&助手席エアバッグを標準とし、ABSを全グレードで装着することができた。ボディも先進の衝撃吸収構造となっており10代目は、当時最も安全なクルマの1台だった。なおABSは1996年8月の小改良で全車に標準で装着されるようになった。

 10代目のブルーバードは、このクラスのセダンを求めるユーザーにとって最適なクルマだった。走りの完成度は高く、室内も広く装備は充実していた。だが、販売は低迷する。ブルーバードと言う高い知名度を誇るブランドであっても、セダンにとって厳しい時代が到来していたのだ。ブルーバードは全盛期を知るベテラン層には一定の支持を集めたものの、若年層の支持を獲得することはできなかった。理由はいろいろ考えられたが、最も大きな要因は、日本ではファミリーカーの代表の座がセダンからワゴンやミニバンの多用途モデルに移行していたことだった。それはモータリーゼーションの成熟に伴う変化だった。10代目ブルーバードは新世代エンジンの搭載など、何回かの改良を経て2001年8月に生産を終了。後継は2000年8月に誕生したサニー・ベースのブルバード・シルフィに託される。ブルーバードの単独ネームは、この10代目が最後になった。