98スズキ・ジムニーvs98三菱パジェロミニ 【1998〜2018】

万能モデルとして人気を博した2台のミニSUV

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


2 代目パジェロミニは新ビルトインフレーム・モノコックボディ採用

 日本独自のコンパクトカーカテゴリーである軽自動車は1998年10月に規格が改定され、ボディサイズが全長3300×全幅1400×全高2000mmから同3400×1480×2000mmに変更される。主に安全性の引き上げを狙った改定だったが、これを機に軽自動車メーカーは既存モデルの全面改良を矢継ぎ早に決行。もちろん、オールラウンドミニとして高い支持を受けるスズキ・ジムニーと三菱パジェロ ミニも新型に切り替わった。

 2代目となるパジェロミニは、新しいビルトインフレームとモノコックボディを組み合わせた新衝突安全強化ボディの“RISE”を基本骨格に採用する。パッケージングについては、ホイールベースとトレッドの延長により居住空間の拡大と走行安定性の向上を実現。サスペンションにはストローク量を増やした前マクファーソンストラット/後5リンクをセットした。搭載エンジンは改良版の4A30型659cc直4DOHC20Vインタークーラーターボのほか、新開発の“リーンバーンMVV”4A30型659cc直4OHC16Vを設定。トランスミッションには5速MTと新開発の4速ATを組み合わせる。駆動機構には2WD/4WD Hi/4WD Loの3パターンの切り替えが容易に可能なイージーセレクト4WDと2WD(FR)を採用した。

 エクステリアは三菱独自のパジェロスタイルを踏襲しながら、異形ヘッドランプやツートンボディカラーなどを採用して個性を明確にする。インテリアはフルトリム化やクリーンエアフィルター付エアコンの装備、ハイトアジャスター付ドライバーズシートおよび前倒れ機構付ヘッドレスト&リクライニング機構付リアスプリットシートの設定などを実施して快適性と利便性をアップさせた。安全機構の面では運転席SRSエアバッグを全車に標準装備し、助手席SRSエアバッグと4輪ABSはオプションで設定していた。

新設計ラダーフレームを組み込んだ3代目ジムニー

 3代目となるジムニーは、新設計の3分割ラダーフレームに軽量衝撃吸収ボディをフルフローティング構造のマウントで組み合わせて安全性を大幅に向上させる。前後3リンクリジッド式のサスペンションは、ダンパーとコイルスプリングの分離やストローク量アップ、リアトレーリングームの延長を実施。オフロードでの走破性とオンロードでの快適性を高次元で両立させた。

 エンジンはカムプロフィールの最適化や圧縮比の変更、吸・排気レイアウトの見直し、マフラー容量のアップ、ダイレクトイグニッションおよびアルミ製ラジエターの装備、インタークーラーの冷却性能の向上、SHIC(Suzuki High-performance Intelligent Control)の採用などを行った改良版のK6A型658cc直3DOHC12Vインタークーラーターボを搭載。トランスミッションには5速MTと新設定の4速ATを、駆動機構にはサイレントチェーン式トランスファーと連動したエアロッキングハブにより走行中でも2WD⇔4WD(4H)の切り替えが行えるドライブアクション4×4を採用した。

 エクステリアに関してはジムニー伝統の個性を引き継ぎながら、新世代のクロスカントリー車らしいアレンジを随所に施す。とくにコーナー部を丸めたうえで各部をフラッシュサーフェス化したフォルムは、空力特性の向上ともに見た目の新しさを主張していた。内装については、フルトリムおよび成形天井の採用やマットタイプバネのフロントシートの装着、抗菌インテリアの導入などによって質感と快適性を大いに引き上げる。また、前2席SRSエアバッグ/4輪ABS/フロントシートベルトプリテンショナーをセットオプションで用意していた。

新規格の軽SUVはロングセラーモデルへ成長

 新世代のジムニーとパジェロミニがデビューしたのと同時期、ダイハツからも軽SUVが送り出される。4ドアのモノコックボディにセンターデフ付のフルタイム4WDを採用したテリオスキッドだ。地上高が高めの乗用車的なパフォーマンスを有するテリオスキッド、ラダーフレーム構造の本格4×4車であるジムニー、そして2車の中間的なキャラクターでオン/オフの走行を巧みにこなすパジェロミニ。新規格に切り替わった軽自動車市場では、新たなミニSUV競争が展開されたのだ。なかでもジムニーとパジェロミニの2台が市場の人気を牽引した。

 それぞれの個性を活かしながら市場で好評を博したミニSUV群は、緻密な改良や車種ラインアップの強化を果たしながらロングセラーの定番モデルに発展していく。そして、デビューから10年以上が経過した2010年代に入っても現役プレイヤーとして活躍し続けたのである。