セドリック 【1999,2000,2001,2002,2003,2004】

激動期に誕生。“新しい高級車像”を提示したラストモデル

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ルノー傘下での10代目デビュー

 1990年代後半の日産は、経営的に非常に厳しい局面に立たされていた。満を持して発売したブルーバード(U13型)、スカイライン(R33型)、シルビア(S14型)、サニー(B14型)など主力モデルの販売が低迷。もともとの高コスト体質もあって財務状況が急速に悪化したのだ。経営陣は各種のリストラ策を断行するが、負のスパイラルに陥っており、1998年には約2兆円もの有利子負債を抱え倒産寸前の状況になってしまう。

 もはや日産単独で生き残るのは不可能だった。日産は1999年3月にフランスのルノーと資本提携(ルノー=日産アライアンス)を結ぶ。ルノー主導の元で、再生を図ることになったのだ。同年中に社長だった塙義一氏は退任し、最高経営責任者に当時ルノーの副社長だったカルロス・ゴーン氏が就任。ゴーン氏主導で作成した「リバイバルプラン」のもと、日産は新たな道を歩むことになる。
 10代目のセドリック(そしてBROS車の11代目グロリア)は、日産の激動期、ルノー傘下に入って直後の1999年6月にデビューした。もちろん10代目セドリックは、ルノーとの資本提携時には開発が終了しており、すべて日産オリジナルで構成されていた。

高級車の新しい流れを提案した意欲作

 10代目は、車両のキャラクターを鮮明にしたのが特徴だった。従来、高級指向のブロアム系と、スポーティ指向のグランツーリスモ系の2シリーズでラインアップを構成していたが、高級指向に一本化を図ったのだ。一方、スポーティ指向は同時にモデルチェンジしたグロリアが継承。日産伝統のセドリックと、旧プリンス自動車時代に誕生したグロリアは、それまでは名前以外は同一の存在だった。しかしこの世代で個性が明確になった。セドリックが高級路線を選んだのは、オーナードライバーが主流だったグロリアに対し、法人ユーザーが多かった点が影響していたようだ。

 新型はカタログの冒頭で「私が、流れをつくっていく。」と宣言。「気品と躍動感が美しく融和した斬新なデザイン、心からのくつろぎをもたらす比類ない静かさ。そして安全性と環境への調和を図りながら、大きく進化した走り。セドリックは、これからの高級車を導く、新しい流れをつくっていく」と語りかけた。
 ボディタイプは、ピラードタイプの4ドアハードトップ。スタイリングは斬新さに溢れていた。自然光のもとでシャープなラインが際立つように入念に計算され、張りのあるボディパネルが独特の雰囲気を醸し出した。美しく、しかも気品ある高級車だった。ボディサイズは全長4860mm、全幅1770mm、全高1450mmと伸びやかである。

適度に先進。魅力はジャパンオリジナル

 ラインアップはトップグレードのVIPを頂点に、LX、LV、Lの基本4グレード構成。パワーユニットはVIPとLXが2987ccのV6DOHC24Vターボ(VQ30DET型/280ps)。LVとLは2WD仕様が、2987ccの自然吸気V6DOHC24V(VQ30DE型/240ps)と2485ccの自然吸気V6DOHC24V(VQ25DE型/210ps)の2種から選べ、4WD仕様は2498ccの直6DOHC24Vターボ(RB25DET型/260ps)を積んでいた。トランスミッションは全車が電子制御タイプの4速ATである。

 シャシーは当時の日産の上級モデルに共通する新世代LLプラットフォームを採用。足回りはフロントがストラット式、リアはマルチリンク式。しなやかな乗り心地を目指して入念にセッティングされていた。
 10代目セドリックは、高級車らしく、静粛で、快適性が高く、パワフル。適度に先進的な完成度の高いモデルだった。メルセデスやBMWなどの欧米のライバルとは明らかにテーストが異なったジャパンオリジナルの、伝統の重みを感じる名車に仕上がっていた。

乗降性に気を配ったセドリックのもてなし

 10代目セドリックは、高級車らしい気配りでオーナーをもてなした。その配慮は、クルマに乗り込む瞬間から実感できるように工夫されていた。全車に乗降時に運転席側ドアを開けるとパワーウィンドウが自動的に昇降する機構を組み込んだのだ。セドリックはサッシュレス式ドアのため、ウィンドウが下がるとドア回りの実質スペースが広がる。狭い場所でも自然な姿勢で乗降できるようになった。もちろんドアを閉じるとガラスが自動的に上昇した。

 上級グレードでは、シートが自動的にスライドし足元に広いスペースを確保する運転席オートスライド。運転席オートスライドに連動してステアリングが上下する運転席オートドライビングポジションシートを採用。一段と乗降性に磨きをかけていた。セドリックは豪華なだけでなく、優しさに溢れた装備を満載していた。

 10代目はデビュー後も積極的に商品性のアップを図った。1999年11月に、世界最先端の無段変速機エクストロイドCVT装着車を設定。2000年1月には40周年記念限定車を発売、同年6月にはプレミアムリミテッド・グレードを追加する。翌2001年12月にはフェイスリフトを実施。一段とスタイリッシュになった。

 10代目の販売は堅調に推移する。しかし残念ながらセドリックはこの10代目が最終モデルとなった。日産の再生を図るリバイバルプランは、同ジャンルにセドリックとグロリアという2モデルを残すより、国際車として通用する新世代の高級車を開発することを選択したからだ。セドリックは2004年10月、ブランニューの新型フーガにバトンタッチし、営業車などのニーズを除いては第一線から退いた。