ゴルフ 【1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990,1991】

「ゴルフからゴルフへ」をテーマにした進化した第2世代

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全面改良のテーマは「たゆまざる革新と変わらない価値の実現」

 1973年に巻き起こったオイルショックは、世界中の自動車メーカーのクルマ造りに大きな影響を与えた。従来のパワー競争や高級化路線から、燃費性能に優れる実用車、とくに横置フロントエンジン・フロントドライブ(FF)方式の高効率なパッケージングを有する小型車の開発へとシフトしていったのである。その中心車種の1台に据えられたのが、新世代のFF小型車として1974年5月にデビューしたフォルクスワーゲンの「Golf(ゴルフ)」(Type17)だった。

 「前輪駆動で大人5名が乗れる小型ハッチバック車」というコンセプトのもと、イタリアの名デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロが車両デザインを手がけたゴルフは、高効率のパッケージングに広い居住空間と荷室スペース、安全性の高いボディに操縦安定性に優れたシャシー、そして実用的なパフォーマンスなどで高い評価を獲得。やがて、小型車のベンチマークに位置づけられるようになる。さらに、1976年6月に登場した高性能バージョンの「ゴルフGTI」では、“ホットハッチ”という一大ムーブメントを巻き起こした。

 世界規模でシェアを拡大していったType17のゴルフ。しかし、1970年代終盤になると強力なライバル車が多数出現し、その勢いに陰りが見えはじめた。この状況を鑑みたフォルクスワーゲンは、満を持してゴルフの全面改良を計画し、1977年3月になって新プロジェクトを本格的にスタートさせる。開発テーマに掲げたのは「たゆまざる革新と変わらない価値の実現」。初代のコンセプトを踏襲しながら、ボディサイズおよび居住空間の拡大や安全性の引き上げ、走行性能の向上などによって、時代を先取りした小型車を創出しようとしたのだ。また、開発と並行して入念な市場調査を販売国各所で実施し、そのデータを全面改良に活かす体制を構築する。さらに、生産に当たっては最新のロボットを駆使した先端の組立工場をウォルフスブルクに新設する旨を決定した。

「Von Golf zu Golf」のキャッチコピーで市場デビュー

 第2世代となるゴルフは、1983年9月開催のフランクフルト・ショーにおいてワールドプレミアを飾る。Type19Eの型式をつけ、1984年モデルとして市場に放たれた通称ゴルフ2は、キャッチコピーに「Von Golf zu Golf」、日本語に訳すと「ゴルフからゴルフへ」と掲げる。基本デザインは見紛うことなき従来のゴルフ(ゴルフ1)を踏襲しながら、あらゆる面での正常進化を果たしたゴルフ2へとモデルチェンジした--そんな意味合いを、このコピーに込めていたのだ。

 ゴルフ2の基本骨格には、新開発のA2プラットフォームをベースにキャビン部を頑強なセーフティセル、前後セクションを衝撃吸収・拡散タイプのクラッシャブルゾーンで構成したスチールモノコック構造を採用する。ボディタイプは4ドア+リアゲートの5ドアハッチバックと2ドア+リアゲートの3ドアハッチバックを用意し、ホイールベースはともに従来比+75mmの2475mmに設定。さらに、全長を従来比で170mm、全幅を55mm、トレッドを前40mm/後65mmほど伸ばして居住空間の拡大と走行安定性の向上を図った。空力特性も重視し、空気抵抗係数(Cd値)は従来の0.42からクラストップレベルの0.34にまで引き上げる。懸架機構はフロントにキドニーシェイプラバーマウント付ロワウィッシュボーンを持つマクファーソンストラット/コイルを、リアにトラックコレクティングマウント付のトレーリングアーム/コイルをセット。操舵機構はラック&ピニオン式で、自ら操舵を安定させるセルフスタビライジング・ステアリングシステムも導入する。制動機構は前ディスク/後ドラム。信頼性を高めるダイアゴナルツインサーキットブレーキシステムも装備した。

 振動などを抑制した新エンジンマウントに搭載するエンジンは、HK型1272cc直列4気筒OHC(55ps)/EZ型1595cc直列4気筒OHC(75ps)/GU型1781cc(1984年にGX型を設定。また日本仕様は1780ccと表記)直列4気筒OHC(90ps)のガソリンユニットとJP型1588cc直列4気筒OHCディーゼル(54ps)およびJR型ディーゼルターボ(70ps)をラインアップ。トランスミッションには4速MT/5速MTと、3速ATを組み合わせた。

2代目のデザインはVW社内チームの傑作

 エクステリアに関しては、社内のデザインチームが造形を担当する。精悍なフロントマスクや太くて安定感のあるCピラーといった部位で従来のイメージを残しながら、大型化するとともにやや丸みを加えたフォルムや装着パーツのフラッシュサーフェス化などによって見た目の品質や存在感をアップ。さらに、リアゲートをバンパーレベルから近い位置で開閉できるようにリファインして利便性の引き上げを図った。

 インテリアについては、拡大した居住スペースに質感が増したインパネ、エアミックスタイプのベンチレーションの採用、遮音材の増加による静粛性向上がトピックとなる。また、ラゲッジルームを従来比で約30%アップ(VDA方式で336L )し、積載能力の向上を果たした。

スポーツバージョンのGTIシリーズを設定

 デビューとともに販売台数を勢いよく伸ばし、小型車クラスの新しいベンチマークに据えられたゴルフ2。その人気は、1984年1月に登場した高性能版の2代目ゴルフGTIによってさらなる高みに達する。GTIはパワートレインに、ボッシュKEジェトロニックの燃料供給装置を組み込んだEV型1781cc直列4気筒OHCエンジン(112ps。日本仕様はHT型で105ps)と専用セッティングの5速MTを採用。懸架機構は前後にスタビライザーバーを配した強化タイプを組み込み、ブレーキには前ベンチレーテッドディスク/後ディスクをセットした。

 1986年3月になると、GTIシリーズにGTI 16Vが設定される。搭載エンジンは2本のオーバーヘッドカムシャフトと1気筒当たり4バブルを組み込んだKR型1781cc直列4気筒DOHC16Vユニット(139ps。日本仕様はPL型で125ps)で、最高速度はついに200km/hオーバー(208km/h)を達成した。

車種設定の拡大と2度のフェイスリフト

 ゴルフ2は、GTIの設定以外でも注目のトピックが目白押しだった。
 フェイスリフトは1987年8月(1988年モデル)と1989年8月(1990年モデル)に行われる。前者では三角窓の廃止およびドアミラーの移設やエンブレムのデザイン変更などが、後車では通称ビッグバンパーの装着などが特長だった。また、エンジンや足回りなどのメカニズム、内外装のアレンジ、装備類なども、年次改良によって着実に進化を図っていった。

 車種ラインアップの拡大も著しい。1986年モデルでは、ビスカスカップリング式のフルタイム4WDを採用したSyncro(シンクロ)を発売。さらに1990年5月には、このシンクロをベースとしたクロスオーバーSUVのCountry(カントリー)を市場に放つ。1989年モデルでは、ホモロゲーションモデルのRallye Golf(ラリー・ゴルフ)G60が登場。ターボ係数1.7を考慮してボアを81.0mmから80.6mmに縮小した1H型1763cc直列4気筒OHCスーパーチャージャーエンジン(160ps)を搭載し、専用セッティングの5速MTとビスカスカップリング式4WDシステム、前後ブリスターフェンダーを配した専用3ドアボディ、205/50VR15サイズの専用タイヤなどを組み込む。このラリー・ゴルフは、5000台限定で生産された。さらに同年には、3G型1781cc直列4気筒DOHC16Vスーパーチャージャーエンジン(210ps)を搭載する3/5ドアボディのG60リミテッドを発売。1990年モデルでは、PG型1781cc直列4気筒OHCスーパーチャージャーエンジン(160ps)を積むGTI G60をリリースした。

クロスオーバーSUVモデルの先駆け「Golf Country」の概要

 1989年開催のジュネーブ・ショーに、フォルクスワーゲンはゴルフ2の新バリエーションを参考出品する。車名は「Golf Syncro prototype」。ビスカスカップリング式のフルタイム4WDを採用したゴルフ2のシンクロをベースに、鋼管製サブフレームの追加や最低地上高の引き上げなどを敢行した、いわゆるクロスオーバーSUVの先駆けとなるモデルを発表したのだ。開発にはオーストリアに本拠を構える4WDスペシャリストのシュタイア・ダイムラー・プフ(Steyr-Daimler-Puch)が参画していた。

 ショーで熱い視線を集めたゴルフ2のオフロードバージョンは、「Golf Country(カントリー)」という車名で1990年5月に市場に放たれる。製造は開発も手がけたシュタイア・ダイムラー・プフのファクトリーで実施。190mmの最低地上高に背面スペアタイヤおよびスペアタイヤキャリアやフロントプロテクトバーといったヘビーデューティなパーツ群を備えたゴルフ・カントリーは、オフロード志向のユーザーから好評を博し、最終的に1991年10月までに7735台が生産された。日本にも少数が正規輸入された。

2代目はゴルフ流の“進化の法則”を確立した記念碑

 革新と進化を調和させ、さらに初代以上にワイドな車種バリエーションを展開したゴルフ2は、1992年12月に生産を終了し、Type1Hの型式をつけた第3世代(1991年8月デビュー)に順次移行する。生産台数は約630万台と初代の約699万台には及ばなかったものの、ライバル車の種類の多さを踏まえると立派な記録。もちろん、生産台数自体は同年代のライバル車を凌駕する数字だった。

 小型車としての不変の価値を徹底追求し、後に続くゴルフ流の“進化の法則”を確立したレガシィ=大いなる遺産--。それがゴルフ2を名車たらしめる所以なのである。