ユーノス800/ミレーニア 【1993,1994,1995,1996,1997,1998,1999,2000,2001,2002,2003】

先進技術を意欲的に採用したアッパーミドルサルーン

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ユーノス・ブランドの旗艦サルーンの開発

 1980年代終盤から1990年代初頭にかけて、マツダは5チャンネル体制の多角的な販売網を構築する。そのなかで、プレミアムかつスペシャルティ感あふれる斬新なイメージで仕立てられたのがユーノス店系列だった。

 ライトウエイトスポーツのロードスターや上級ハッチバック車の100、4ドアハードトップサルーンの300、ワンボックスカーのカーゴワゴン、3ローターのロータリーエンジンを採用したコスモ、スポーツクーペのプレッソ、スタイリッシュセダンの500と、矢継ぎ早にラインアップを増やしていったユーノス・ブランド。そして開発現場では、イメージリーダーとなるフラッグシップサルーンの企画を鋭意推し進める。車格としては、クロノスとセンティアの間に位置するFFアッパーミドルクラスを想定。基本骨格には新設計のTAプラットフォームを採用し、さらにエンジンや足回りなどに先進のメカニズムを豊富に盛り込むこととした。

“十年基準”のキャッチで市場デビュー

 ユーノス・ブランドの旗艦サルーンは、「ユーノス800」の車名で1993年10月に市場デビューを果たす。車両のキーワードは“十年基準”。高機能フォルムのなかに10年乗っても飽きのこない本質的なクルマの価値を造り込んだことを、このフレーズで表現していた。

 エクステリアは、存在感のあるグリルを中央に据えた華やかなフロントマスクや伸びやかなサイドライン、端正な造形のリアセクションで強くて美しい4ドアセダンのスタイルを構築する。同時に、精緻な造りのパネル面や最高水準の塗装である高機能ハイレフコートなどを採用し、見た目の高級感と耐久性のアップを実現した。さらに、ボンネットフードには軽量化を狙ってアルミ製を導入。サンルーフ部には太陽エネルギーを有効活用する先進のソーラーベンチレーションシステムを内蔵した。ラウンドデザインのキャビン空間にも、精緻な造り込みを施す。とくに、しっとりとした風合いを醸し出すコーティングや上質なシボ加工が、乗員の感性品質に訴えかけた。フロントシートについては、骨盤を安定支持するプレートと体圧を分散支持するプレートを組み合わせた新タイプをセット。さらに、運転席には8WAY、助手席には4WAYのパワー機構を組み込んだ。

 量産車世界初のミラーサイクルエンジンを搭載したことも、ユーノス800の特長だった。吸気バルブ遅閉じ方式やリショルムコンプレッサーなどの新技術を用いたKJ-ZEM型2254cc・V6DOHC24Vユニット(220ps/30.0kg・m)は、滑らかでゆとりに満ちた出力特性と優れた燃費性能を高次元で両立する。ほかにも、熟成を図ったKL-ZE型2496cc・V6DOHC24Vユニット(200ps/22.8kg・m)をラインアップした。組み合わせるトランスミッションはエンジン統合制御を進化させたEC-AT(電子制御4速AT)で、上位グレードには3・4速にファジーロジックを採用したオートクルーズを装備する。懸架機構には新開発の前後マルチリンク式サスペンションをセット。さらに、進化版のヨーレート感応型4WSシステムや4W-ABS、トラクションコントロールシステムといった先進機構も設定した。

2度の車名変更を経て2003年まで生産

 KJ-ZEMエンジン搭載車のMC-V/MC、KL-ZEエンジン搭載車の25G/25Fクルージングパッケージ/25Fスペシャルパッケージ/25Fという6グレード展開でスタートした高性能サルーンのユーノス800。しかし、販売成績は振るわなかった。マツダの急速な多チャンネル化および車種設定の増加が災いして存在感が希薄だった、RV人気に高級セダンが圧倒された−−要因は色々と指摘された。

 厳しい状況のなか、それでもマツダは懸命にユーノス800を市場にアピールしていく。1995年8月には買い得感の高い特別仕様車の25Fミレーニアを発売。1996年6月にはデュアルSRSエアバッグの採用やヘッドライトの改良、ミレーニアのカタログモデル化などをメニューとする一部改良を行うとともに、車名をマツダ・ユーノス800に変更する。1997年7月には、ユーノス店の廃止に合わせて車名を北米市場と同じマツダ・ミレーニアへと刷新。その後も内外装の意匠変更やKF-ZE型1995cc・V6DOHC24Vユニット(160ps/18.3kg・m)の追加など、緻密な改良を図っていった。

 ユーノス800〜マツダ・ミレーニアと変遷を遂げていったアッパーミドルセダンは、当初のキーワード通り十年基準を全うし、2003年に生産を終了する。ここまで生きながらえたのは、車両設計の確かさと先進性の内包、そして開発陣のキーワードに対する強いこだわりがあったからだった。