アストンマーティンDB4 【1958,1959,1960,1961,1962,1963】

高性能を世界に証明した第2世代DBシリーズの原点

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1960年代に向けたDBシリーズの開発

 アストンマーティン(Aston Martin)は、1913年に設立された英国を代表する高性能スポーツカーメーカーである。ネーミングは、当時“アストンヒル”という峠道で盛んにレースが行われていたことと、創業者の一人ライオネル・マーティン(Lionel Martin)の名前に由来する。アストンマーティンは、第2次世界大戦後、厳しい経済環境に対応する目的で「The Times」の紙面において出資者を募った。最終的に実業家のデイビッド・ブラウンが1947年に2万500ポンドで同社を買収した。経営のトップに就いたブラウンは、やはり財政的に困窮していた高級車メーカーのラゴンダ(Lagonda)を傘下に収め、アストンマーティン・ラゴンダ(Aston Martin Lagonda)Limitedを設立する。そして、ビジネスを軌道に乗せるために市販スポーツモデルの企画に注力し、2Lスポーツや自らの頭文字を冠するDB2、DB2/4、DBマークⅢなどを開発した。

 市場で好評を博したアストンマーティンのDBシリーズ。手応えをつかんだブラウンは、1960年代に向けた発展型のDBシリーズの発売を決意する。そして1956年より開発を本格化させた。プロジェクトに従事したのは、ゼネラルマネジャーのジョン・ワイヤーやシャシー担当のハロルド・ビーチ、エンジン担当のタデック・マレックら精鋭たち。さらに、イタリアの名コーチビルダーであるカロッツェリア・トゥーリングもプロジェクトに参加した。

「DB4」の車名で市場デビュー

 1958年開催のロンドン・ショーにおいて、第2世代のDBシリーズが「DB4」の車名を冠してワールドプレミアを飾る。雛壇に上がったDB4の姿を見ながら車両の詳細を聞いた当時の自動車マスコミや来場者は、アストンマーティン・ラゴンダ社の力の入れ具合に感嘆した。ボディやシャシー、エンジンなどの基本コンポーネント、さらに内外装のデザインなど、すべてを新設計し、かつ高性能・高品質に仕立てていたのだ。

 DB4の基本骨格には、新設計のプラットフォームに小径鋼管のマルチチューブラーフレームを溶接し、そこにアルミ製ボディを架装するという、いわゆる非分解型フレーム構造のスーパーレッジェーラ(superleggera)工法を採用する。この工法は協力を仰いだカロッツェリア・トゥーリングが特許を持っており、軽量かつ剛性に優れる車体を構築できることが特長だった。トゥーリングはスタイリングの演出にも関与し、流麗かつスポーティな2+2のクーペボディ(アストンマーティン流の呼び方は“サルーン”)を創出する。ホイールベースは2489mmに設定。サスペンションはフロントに新設計のダブルウィッシュボーン/コイル+アンチロールバーを、リアにワッツリンクで横方向の位置決めをしたトレーリングリンク/コイルをセットした。また、制動機構にはダンロップ製のサーボ付き4輪ディスクブレーキを、操舵機構にはラック&ピニオン式を採用。シューズにはダンロップ製のセンターロックワイヤホイールと6.00-16サイズの高性能タイヤを装備していた。

240hpのパワフルな直6DOHC搭載

 搭載エンジンはボア×ストロークを92.0×92.0mmに設定して排気量を3670ccとした新設計のオールアルミ製直列6気筒DOHCを採用する。2本のオーバーヘッドカムシャフトに耐久性を高めた80度角のバルブ配置、トーショナルダンパーを配した7メインベアリングクランク、ダイカストアルミニウムアロイ製のピストン、窒化処理したピンなどを組み込んだ新ユニットは、SU型HD8キャブレター×2の燃料供給装置と8.25の圧縮比から240hp/5500rpmの最高出力と33.1kg・m/4250rpmの最大トルクを発生した。

駆動レイアウトはFRで、トランスミッションには当初フルシンクロの4速MTを、後にオーバードライブ付き4速MTやボルグワーナー製3速ATを設定する。パフォーマンスについては標準の4速MT仕様で最高速度227km/h、0→60mph加速8.5秒を達成し、名実ともに世界トップレベルの高性能スポーツツアラーとして評価を高める。

高性能バージョンの「DB4 GT」を発表

 デビューから1年あまりが経過した1959年9月には、ハイパフォーマンスバージョンの「DB4 GT」が発表される。GTのボディはDB4比でホイールベースを130mmほど短縮した2シーターレイアウトで構成。車重は80kgあまり軽い1269kgに抑える。プレクシグラスでカバーしたヘッドランプやフロントグリルのアレンジ、ルーフおよびウィンドウグラフィックの造形など、随所に独自のデザインを採用したこともGTの訴求点だった。

 搭載エンジンは3670cc直列6気筒DOHCユニットを基本に、ツインプラグヘッドやウェバー45DCOEキャブレター×3の燃料供給装置などをセット。圧縮比は9.0にまで高められ、302hp/6000rpmの最高出力を発生する。また、トランスミッションにはクロスレシオ化したフルシンクロ4速MTを組み合わせ、パワーロックと称するLSD付きのファイナルを装備した。サスペンションにも高出力化に対応する専用セッティングを施す。パフォーマンスについては最高速度245km/h、0→60mph加速6.4秒をマークした。一方でアストンマーティン・ラゴンダ社は、レースをターゲットにした軽量バージョンも製作。トータルでのDB4 GTの生産台数は75台を数えた。
 ちなみに、DB4 GTのプロトタイプは同車の発表前にシルバーストーンのレースに参戦。名ドライバーのスターリング・モスの手によって見事にデビューウィンを飾った。

ザガート製ボディを纏った「DB4 GT Zagato」

 1960年10月になると、DB4 GTをベースにザガート製のアルミボディを架装した「DB4 GT Zagato」がデビューする。ザガートのデザイナーであるエルコーレ・スパーダが手がけたスタイリングは、より空力特性に優れたフォルムへと刷新。同時に、さらなる軽量化も施される。搭載エンジンは圧縮比を9.7にまで引き上げるなどして314hp/6000rpmの最高出力を発生。最高速度は250km/hに達した。

 DB4 GT Zagatoはデビューから1963年までに19台が製造される。この際、シャシーナンバーの4つが未使用のまま残ったことから、1991年にはイタリア製ボディを組み付けたDB4 GT Zagato「Sanction Ⅱ」がザガートで製造された。

基本デザインを引き継いだDB5、DB6へと発展

 基本グレードとなったDB4自体は、細かな改良を施しながら生産が続けらる。大別すると、1960年2月までのモデルがシリーズⅠで、以降がシリーズⅡ、1961年4月からはシリーズⅢ、1961年9月からはシリーズⅣ、そして1962年9月からはシリーズⅤに区分できた。
 シリーズⅡでは、前ヒンジ式フロントフードやヘビーデューティ・フロントブレーキキャリパーなどを装備。オプションとして、オイルクーラーやパワーウィンドウなどを用意する。シリーズⅢではフロントフードの固定ステイを2本式にしたほか、リアコンビネーションランプや駐車ブレーキレバーなどを変更した。シリーズⅣになると、低いフードスクープとセブンバーチカルバーと呼ばれるグリルを組み合わせた新しいフロントビューに刷新。さらに、オプションとしてVantage仕様が設定され、搭載エンジンはSU型HD8キャブレター×3の燃料供給装置と9.0の圧縮比によって最高出力が266hp/5700rpmにまで引き上げる。また、Vantage仕様はカウルドタイプのヘッドランプを装着し、標準仕様との差異化を図った。そしてシリーズⅤでは、リアの足もとスペースとトランクルームを広げる目的でボディ後半を70mmほど延長。同時に、タイヤおよびホイール径を16インチから15インチに変更する。また、インパネ造形をGTと同デザインのものに切り替えた。

 ボディタイプでは、1961年10月よりオープンモデルのDB4ドロップヘッドクーペがラインアップに加わる。オープンボディ化に当たっては、ピラーの強化やフロントガラス造形の変更および三角窓(正確には四角窓)の設定、キャビンまわりの補強を実施。ルーフは格納式ソフトトップのほか、脱着が可能なハードトップも用意する。生産台数は非常に少なく、70台にとどまった。

 DB4シリーズは1963年7月になるとモデルチェンジを実施し、改良版のボディおよびシャシーにボアアップ(96.0mm)して排気量を3995ccとした直列6気筒DOHCエンジンを積む「DB5」へと移行する。映画『007』シリーズのボンドカーとして名を馳せたDB5の生産期間はわずか2年強で、1965年10月になるとカムテールを取り入れた発展型の「DB6」へと切り替わり、1970年まで生産された。
 アストンマーティンの高性能を世界中に知らしめた第2世代DBシリーズの原点となるDB4は、計1110台と当時の高級スポーツカーとしては多めの台数が生産された。アストンマーティン史、さらには英国スポーツカー史に燦然と輝く記念碑。DB4は、まさに名車中の名車である。