ブルーバード・ワゴン 【1960,1961,1962,1963,1964】

アメリカ市場を意識した豪華で快適なハイグレードモデル

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アメリカで高い人気を誇ったステーションワゴン

 初代ブルーバードは、当初からアメリカを中心とした輸出を前提にしたワールドカーだった。1960年7月にラインアップに加わったステーションワゴンは、その証明といえた。1960年当時ステーションワゴンは日本では一般的なモデルではなかった。というのも荷物を積むためのクルマとして、商業車のバンがすでに高い人気を誇っていたからだ。なかでもブルーバードと同クラスとなるダットサン・トラックをベースにしたダットサン・バンは、高い耐久性と最大積載量500kgの優れた積載性で市場をリードしていた。ダットサン・バンは快適性という面ではブルーバードに劣っていたが、本来の荷物を積み・運ぶという点で勝っていた。しかも車両価格も安かった。ビジネスユースの相棒と考えるとブルーバード・ステーションワゴンに勝ち目はなかったのである

 しかしアメリカでは事情はまったく違った。乗用車の豪華さ、快適性をそのままに広いラゲッジスペースをプラスしたステーションワゴンは、セダンの上位に位置するハイグレードモデルと認知されていた。モータリーゼーションが成熟したアメリカではファミリーユースにステーションワゴンを選ぶことが一般的だったのである。アメリカのユーザーはブルーバードにもステーションワゴンの設定を望んだ。とくにアメリカではコンパクトカーに分類されるブルーバードにとって、ステーションワゴン化により室内空間に余裕が生まれることは大きな魅力だった。

上級モデルの1200デラックスをベースに開発

 1960年7月にブルーバードのラインアップに加わったステーションワゴンは、上級グレードの1200デラックスをベースにしたもので、荷物を積むための実用車としてではなく、あくまで上質な乗用車として設計されていた。アメリカンテーストのステーションワゴンだったのである。伸びやかな印象のスタイリングはCピラーまでがベースになったセダンと共通で、ルーフラインを後方まで延長している。リアには実用的な上下開き式リアゲートを装備していた。デラックスグレードを基本としているだけにボディサイドにはクロームモールディングが走り、おしゃれなツートーン塗装を選ぶこともできた。前後バンパーは大型オーバーライダー付きでタイヤはホワイトリボン式を装着する。

 室内もセダンそのままだった。前後シートはセダン同様の大型サイズでインスツルメントパネルもセダンと共通。前を向いて座っている限りセダンとステーションワゴンの見分けはつかなかった。ブルーバードは優れた快適性で高い人気を得ていたが、ステーションワゴンはその美点を完璧に継承していたのだ。しかもユーティリティは抜群だった。後席背後には広々としたスペースがあり、後席を畳むとさらにフラットな空間が拡がった。カタログでは休日に家族でアウトドアに出掛けるシーンが描かれているが、ブルーバード・ステーションワゴンならセダンのトランクでは積み込みが難しいバーベキュー用品や大型パラソルが楽々と積み込め、楽しいドライブが可能だった。乗り心地を重視して足回りはとくに固められていなかったから、ラゲッジに積む荷物の目安荷重は5名乗車時で50kg、後席を畳んだ状態でも100kgに過ぎなかった。しかしステーションワゴンは荷物を満載するクルマではなく、家族の夢を積み込むクルマだったからこれで十分と言えた。

トップスピードは115km/hをマーク

 ブルーバード・ステーションワゴンの足回りはソフトな設定とはいえ、前輪にはスタビライザーが追加されており、セダン以上にしっかりとしたハンドリングが得られるように工夫されていた。排気量1189ccから43ps/4800rpm、8.4kg・m/2400rpmを発揮する直列4気筒OHVエンジンとコラムシフトの3速マニュアルトランスミッションの組み合わせはセダンと同様だ。パフォーマンスはセダンとほぼ共通だったが、トップスピードは増大した車重の関係でセダンより5km/h低い115km/hと公表されていた。

 ブルーバード・ステーションワゴンは日本では少数派だった。しかし狙いどおりアメリカ市場では高い人気を集め、好調な販売を記録した。ブルーバードの躍進を支えた実力モデルだったのである。

高い品質実現への積極的な取り組み。1960年デミング賞を獲得

 日産は初代ブルーバードの成功に伴い量産体制の確立に努めるとともに、製品の品質向上にも積極的に取り組んだ。量産によって車両価格の引き下げを図ると同時に、品質面で国際水準を上回ることが今後の日産の将来を左右する鍵と判断したのである。日産自動車はデミング賞の獲得を目標に掲げた。デミング賞とは1947年以降、たびたび来日し品質管理の理論面、実施面で多大な貢献を果たしたウイリアム・エドワーズ・デミング博士にちなんで、1951年に日本科学技術連盟が制定したもので、生産段階だけでなく部品の購入から在庫状態、工場から設計へのフィードバック、外注会社の育成指導までを総合的に調査し、優れた品質管理がなされた企業にのみ与えられる栄誉あるものだった。

デミング賞委員会は1960年の3月から4月にかけて日産の吉原工場、横浜工場、そして本社を訪れ入念な審査を実施し、5月にデミング賞実施賞の授与を決定した。実施賞は、日産車の品質が国際レベルを上回っていることのなによりの証明だった。デミング賞の獲得によって、日産のクルマ作りは一段とレベルアップした。