セドリック4ドアHT 【1972,1973,1974,1975】

国産初の4ドアパーソナル車の登場

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ユーザーの上級志向を踏まえて--

 自家用車の保有台数が右肩上がり推移していた1970年代初頭の日本の自動車市場は、ユーザーのクルマに対する上級志向が急速に高まっていた。単なる移動手段から、見栄えがよくて快適に走れるクルマを求める人々が増えていたのである。その結果、以前は法人需要が中心だったラグジュアリーカーのカテゴリーでも個人所有の割合が徐々に増加していた。

 この状況に対し、日産自動車は1971年2月に230型系セドリックをデビューさせる。3代目に当たる230型系セドリックは、同時にフルモデルチェンジした4代目グロリアと基本コンポーネンツを共有化する。このモデル以後、セドリックとグロリアはバッジエンジニアリングの兄弟車となり、両車合わせて“セド・グロ”の愛称で親しまれるようになった。
 3代目セドリックを開発するにあたり、スタッフが重視したのは「個人ユーザーにアピールするための内外装と走りの実現」だった。それまでのラグジュアリーカーといえば、法人使用がメイン。ルックスのカッコよさやインテリアの見栄えよりも、耐久性や機能性といった項目が重視された。その傾向を打破するため、3代目は個人向けと法人向けの仕様を明確に分ける手法を採用する。基本スタイリングは最新のコークボトルラインや曲面ガラスなどを採用。さらに個人向け仕様にはスタイリッシュな2ドアハードトップや2.6L直6エンジン搭載車を設定し、スポーティで高性能なイメージを目一杯に打ち出した。

パーソナルモデルの真打ちを追加

 3代目セドリックの市場デビューから約1年半が経過した1972年8月、個人向け仕様の真打ちといえるモデルが追加設定される。国産車では初となるボディー形状、4ドアハードトップが発表されたのだ。ピラーレスの4ドアボディーの外観は見た目が非常にスポーティで、室内からの開放感も高い。しかもドアが4枚あるので、利便性も高かった。専用デザインの角型2灯ヘッドランプや立体感のあるラジエターグリル、縦パターンのリアフィニッシャーなども、精悍な印象を大いに盛り上げる。走りに関してもルックスにふさわしいスポーティ性を実現しており、とくに2.6L直6エンジンを搭載した2600GXグレードは、力強い加速と快適な高速巡航が楽しめた。

 4ドアハードトップ仕様はたちまち人気モデルとなり、セドリックの個人ユーザーの大半がこのモデルを購入するようになる。その結果230型系セド・グロの合計販売台数は、一時期ではあるが最大のライバルである4代目トヨタ・クラウンを上回る好成績を記録した。

大型排気量車に対する逆風

 4ドアハードトップ仕様をイメージリーダーに据え、このまま順調に販売成績を伸ばすかに見えた3代目セドリック。しかし、予想外の状況が同車を待ち受けていた。1973年10月6日に勃発した第4次中東戦争に端を発するオイルショックである。石油関連の各社は日本に対して原油価格の大幅な引き上げと供給量の制限を次々と実施。石油系燃料で走る自動車に大打撃を与える。とくに燃料を多く使う大排気量車に対する風当たりは強く、これに公害問題対策の排出ガス規制が加わり、セドリック人気は急速に落ち込んでいった。

 オイルショック以後、3代目セドリックは大きな改良が実施されないまま、1975年6月になると330型系の4代目に一新される。4代目はフラッグシップエンジンを2.6Lから2.8Lに拡大し、排出ガス浄化装置のNAPS(ニッサン・アンチ・ポリューション・システム)などを備えたが、そのぶん車重は増え、しかもエンジン回転のスムーズさも失われてしまった。
 オイルショックと排出ガス規制に翻弄された3代目セドリック。しかし、4ドアハードトップ仕様によってラグジュアリーカーの個人ユーザーを初めて大規模に掘り起こした功績は、自動車史に燦然と輝いているのである。