パルサー 【1978,1979,1980,1981,1982】

薫る欧州車テースト。FF実力車

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日産初のFFモデルとして、
若者を中心に人気を博したチェリー。
その後継車種として登場したのが、
2BOXスタイルのパルサーだ。
信頼性の高いメカと活発な走りは、
欧州指向のユーザーの注目を集める。
チェリーの後継車に必要な要素は−−

 1978年5月、チェリーF-Ⅱの後継モデルとなるパルサーがデビューする。ボディはもちろん2BOX。利便性を考えて、当初はファストバックの4ドアだけの設定とした。エンジンはS53年排出ガス規制をクリアしたA12AS型1.2LとA14S型1.4Lの2機種を用意する。販売ディーラーはチェリー店。当時のクルマ好きは「パルサー店に変わるのでは?」と噂したが、結局チェリー店の名前で続行された。

ユーザーのニーズに合わせた車種拡大

 デビューから4カ月後、スポーティな3ドアハッチバックとクーペがラインナップに加わる。とくにクーペモデルの注目度が高く、チェリーのスポーツ仕様として名を馳せた“X-1R”の実質的な後継車といわれた。メカニズム面では1.4Lエンジンと組み合わされた日産スポーツマチック(流体駆動式手動変速機)がアピールポイント。H型ゲートを持つこのミッションは、2ペダル仕様のいわゆるクラッチレスMTだった。

 その後もパルサーはユーザーのニーズに合わせた車種拡大を図っていく。79年9月に5ドアハッチバックを、80年2月にサンルーフ仕様を設定。80年5月のマイナーチェンジでは、ヘッドライトが丸型2灯から角型2灯に一新された。同時に人気薄だった4ドアモデルが廃止となる。81年3月には再びマイナーチェンジを実施。エンジンはE13型1.3LとE15型1.5Lに換装され、足回りのメカニズムにも改良を加える。走りのパフォーマンスは大きく向上し、業界からは「ついにパルサーは排ガス規制の呪縛を脱した」と評された。

COLUMN
歴代パルサーはモータースポーツで活躍
 1980年代の日産のモータースポーツ活動において、歴代パルサーはなくてはならないベース車だった。初代モデルではクーペによるワンメイクレースが開催され、1981年には伝統のRACラリーにも参戦する。2、3代目モデルも3ドアハッチバックのスポーツ仕様をベースにしたモータースポーツ車が活躍した。真打ちは4代目モデルで用意された“GTI-R”だ。開発当初からWRC(世界ラリー選手権)への参戦を前提に設計され、SR20DET型2Lターボエンジンに4WDの駆動メカを搭載する。車体バランスやインタークーラーの冷却効率が悪いなどの欠点もあったが、ラリー界では大きな話題を呼んだ。