シーマ 【1988,1989,1990,1991】

高級の基準を刷新したエポックモデル

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デザインは海外カロッツェリアの作品!?

 1987年秋の東京モーターショーでの参考出品を経て1988年1月に正式デビューを飾った初代日産シーマは、国産車の新しいジャンルを開拓したことで歴史的なクルマとなった。ただし、シーマには技術的な冒険はほとんど無く、多くの部分は既存の量産車(セドリック/グロリア)と共通していた。このクラスのクルマのユーザーは、決して冒険を好まないからである。技術は信頼性を重視し、イメージやスタイリングに徹底的に凝る。この開発手法は、技術で冒険することを好んだ当時の日産としては珍しいクルマ造りだった。

 シーマの基本的なシャシーはセドリック/グロリア(Y31型)に等しい。しかし、ボディ外板やウィンドウ、バンパーなどは全く新しくデザインしている。ボディタイプはパーソナル感の強い4ドア・ハードトップのみの展開であった。セダンではなくハードトップという点が、ブランド志向の強いユーザーにとってはうれしいことだった。スペシャルな味わいこそが、新ブランド確立の大きな要素だからである。セドリック/グロリアをベースにしたシャシーを使っているとは言え、エクステリアはシンプルさを感じさせる全くの新デザインとなり、サイズ的にも全長で190㎜、全幅で70㎜それぞれ拡大され3ナンバー規格に大型化されている。曲面を強調したスタイリングは、重厚感にあふれたものとされていた。このスタイリングは一説によると日産社内の作品ではなく、著名なイタリアのカロッツェリアが手がけたものという。確かに丁寧な面構成やダイナミックなプロポーションなど、高級車作りに深い経験を持つ手練ならではの味わいが感じられる。

鮮烈な国産最強ターボパワー!

 ボディパネル(レーザーミラー鋼板)やペイントされる塗料さえも、セドリック/グロリアとは異なる最上級のものを使っていた。とくに塗料は欧州高級車と同質の色の深みと光沢を持つもので、さらに4コート4べーク(4層塗り・4層焼き付け)を施していた。これだけを見ても、日産がシーマという新しいブランドを確立させるために、いかに力を入れていたかが判ろうというものだ。少なくとも、当時はライバルであるトヨタにはこの種のモデルは存在していなかったのである。

 シーマはオーソドックスなフロント・エンジン、リア・ドライブの駆動方式を採用していた。搭載されるエンジンは、排気量2960㏄のⅤ型6気筒で、DOHCヘッドを持つ強力版だ。自然吸気型とインタークーラー付きターボチャージャーを組み合わせた仕様がある。NAバージョンは200ps/6000rpm、ターボ仕様は255ps/6000rpmを発揮した。ターボは発表当時は国産最強を誇った。トランスミッションは電子制御のスノーモード付き4速オートマチック・トランスミッションのみの設定となる。デファレンシャルにはビスカスカップリング式のリミテッド・スリップ機構が組み込まれている。また、足回りに電子制御エアーサスペンションを採用したグレードもあった。パワーステも電子制御タイプで、ABSもベースグレードを除いて標準装備するなど、日産の最新技術が惜しみなく投入されていた。とくにメイングレードをターボ仕様とし、ビッグクラスのパーソナルサルーンらしからぬハイパワーを売り物にしたのが光った。

追い越し車線はシーマの指定席!

 インテリアは比較的大人しいデザインと色調が選ばれており、けばけばしさは感じられない。室内寸法はセドリック/グロリアに比べて20㎜伸ばされ、10㎜幅広くなっている。価格は自然吸気型エンジンを装備する標準仕様の433万円からターボ・エンジンにあらゆる装備を組み込んだ510万円まで4車種が揃えられていた。シーマは同程度の性能と装備をもつ輸入車のほぼ半額であった。

 シーマはデビューするや瞬く間に人気車種となり、一時はほとんどこのセグメントのマーケットを独占してしまう。魅力はスタイリングと高い質感、そして圧倒的なパフォーマンスにあった。とくにターボ仕様の加速力は圧倒的で、お尻をぐっと沈め、スポーツカー顔負けのダッシュがドライバーを魅了した。このクラスのクルマとしては下品な振る舞いともいえたが、高速道路の追い越し車線はシーマの指定席となった。とにかく異例の国産車だった。ライバルであるトヨタにはこの種のモデルが存在していなかったこともあるが、その急激なシェア拡大は「シーマ現象」という新語さえ生み出すことになる。このシーマ人気を目の当たりにしたトヨタは、翌1989年8月にクラウンにセルシオ用4.0リッター、V型8気筒エンジンを先行採用の形で搭載して、価格的にも同じ市場となるクラウン・ロイヤルサルーンG・V8を急遽発売する。シーマはそれほどトヨタを慌てさせたクルマだったのだ。「シーマ現象」のインパクトは強烈だったのである。