ホライゾン 【1994,1995,1996,1997,1998,1999】

いすゞ・ビッグホーンのホンダ版

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急場の“四駆”対策

 バブル景気の崩壊とともに急速に発展した日本のレクリエーショナル・ビークル(RV)ブーム。1990年代初頭は、RVの中でも4WD車、いわゆる“四駆”に人気が集まり、三菱パジェロやトヨタ・ハイラックス・サーフなどのクロスカントリーモデル群が販売台数を大いに伸ばしていた。
 四駆ブームは一過性で短い--そう判断した本田技研は、自社内で4WD車の開発を本格化させることはなかった。しかし、ブームは予想外に長く続き、クロスカントリー4WD車のラインアップがない本田技研の販売シェアは急速に落ち込んでいく。さらに同社にはバブル景気の崩壊による過大投資のツケが圧し掛かり、経営状態は一気に悪くなった。マスコミからは、「本田技研はこのままでは存続できない。どこかと資本提携するのでは……」とまで噂された。

 本田技研は起死回生策として、RVの開発と販売に注力し始める。その端緒として、1991年にクライスラー社製のジープ・チェロキー/ラングラーをホンダのディーラー網で販売。さらに1992年シーズンをもってF-1活動を一時休止し、資金と人員を新車開発と生産強化に当てる方針を打ち出した。
 1993年に入ると、本田技研の四駆対策はさらに活発化する。1993年4月にはいすゞ自動車とのあいだで商品の相互補完に関する契約を締結し、4WD車の供給を受ける決定が下される(いすゞ側はアコードをアスカ、ドマーニをジェミニの名で販売)。同年10月にはいすゞのミューを“ジャズ”の車名でリリース。また翌11月には、提携関係にあった英国ローバー社からディスカバリーのOEM供給を受け、“クロスロード”のネーミングで発売した。

■ 最上級モデルをホンダ仕様に仕立てる

 1994年2月になると、いすゞ製4WD車をベースとする第2弾モデルが市場デビューを果たす。車名は“ホライゾン”。いすゞのフラッグシップ4WDであるビッグホーンのロングボディに、オリジナルのフロントグリルとシート表皮、さらにフルオートエアコンや6スピーカーオーディオを装備した高級4WDをラインアップしたのである。
 ホライゾンのグレード展開はハンドリングbyロータスとハンドリングbyロータスSE(レザーシートやクルーズコントロール、サイドストライプを標準装備)のみの設定で、エンジンはそれぞれのグレードに6VDI型3165cc・V6DOHCガソリンと4JG2型3059cc直4ディーゼルターボを搭載する。ハンドリングbyロータスのディーゼル仕様では5速MTも選べた(それ以外のグレードは4速ATのみ)。

 ちなみにホライゾンのデビューと同時期、本田技研は同社の4WD車を一堂に集めてマスコミ向けに雪上試乗会を開催した。その際、同社のスタッフは他社との相互補完を強調する一方、ホンダ独自の4WDシステムである“デュアルポンプ4WD”(シビックの4ドアモデルに採用。雪上試乗会にも用意)の優位性も力説する。本格的なオフロードを走ることが少ない日本の使用パターンでは、軽くてシンプルな機構を有し、ABSとの相性もいいデュアルポンプ4WDのほうがベターと語ったのである。この方針は、後に市場デビューを果たすライト級クロカンのCR-Vに生かされることとなった。

ホライゾン販売中に自社RVを鋭意開発・投入

 ハンドリングbyロータス系のみで市販を開始したホライゾンは、1995年8月に入ると、拡販を狙ってお買い得グレードの“XS”をラインアップに加える。この仕様は、ビッグホーンでいうところの“XSプレジール”のロングボディに該当した。
 1998年3月にはビッグホーンのマイナーチェンジに合わせて、ホライゾンも仕様変更を実施する。エンジンはコモンレール式高圧燃料噴射システムを採用した3L直4DOHCディーゼルターボと新開発のハイフローストレートポートを組み込む3.5L・V6DOHCガソリンを搭載。ホライゾン独自の装備としてはフロントグリルやシート表皮のほかに、アルミホイールやボディカラー、ドアトリムにまで拡大した。

 ホライゾンが進化する間、本田技研は着々と自社開発のRVをラインアップし、クリエイティブムーバー(オデッセイ/CR-V/ステップワゴン/S-MX)やJムーバー(キャパ/HR-V)、Kムーバー(ライフ/Z)などなどで大成功を収める。この頃になると、「RVがないホンダ」から「RVが得意のホンダ」へとイメージを一新していた。OEM供給を受ける必要はもうない--本田技研はそう判断し、1999年にホライゾンの販売を終了したのである。