アルシオーネSVX 【1991,1992,1993,1994,1995,1996】

2代目六連星高級スペシャルティカー

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好景気を背景にした高級スペシャルティの開発

 後にバブル景気と呼ばれる未曾有の好況に沸いていた1980年代後半の日本の自動車市場。ユーザーの志向はハイソカーやスペシャルティカーなどの高級モデルに集中し、メーカー側もそれに対応した新型車を、豊富な開発資金をバックに企画していた。
 そんな状況の中、富士重工はフラッグシップモデルであるアルシオーネのフルモデルチェンジに邁進する。開発陣がまず手がけたのは、先代モデルでは好き嫌いがはっきりと別れたスタイリングの刷新だった。ユーザー志向にマッチした、スポーティで先進性あふれるエクステリアを実現するためには……。最終的に開発陣は、外部の優秀な工業デザイナー、具体的にはイタルデザインを率いるジョルジエット・ジウジアーロにエクステリアのスケッチを依頼する。その際の条件は、新型レガシィ用に開発していたプラットフォームとパワーユニットを使用し、さらにボディサイズは5ナンバー枠に収めることとした。

 1980年代末になると、ジウジアーロのスケッチを基にした4分の1スケールモデルが完成する。当時の開発スタッフによると、「非常にシャープで未来的。純粋にカッコよかった」そうだ。しかし、ここでSOA(スバル・オブ・アメリカINC.)やマーケッターから意見が出る。「ボディをワイド化したほうが、北米市場では売れる」「国内でも、3ナンバーのほうが見栄えがいい」。国内の営業部門からは5ナンバーサイズを支持する声もあったが、結果的に首脳陣は“世界に通用するスバル”を目指すために3ナンバーボディを選択した。
 スタイリングは大幅に見直され、フェンダーやボディラインなどはグラマラスな形状に変化する。一方のキャビン部は、ジウジアーロの提案に則してグラスtoグラスのラウンドキャノピーとした。エンジンに関しては、従来のフラット4をベースに新たに6気筒化したEG33型3318cc水平対向6気筒DOHCを搭載。駆動メカには不等&可変トルク配分のVTD-4WDを組み込み、加えて4輪操舵システムの4WSも採用した。

キャッチフレーズは“500miles a day”

 富士重工の新しい高級スペシャルティは、1989年開催の第28回東京モーターショーでコンセプトモデルが披露される。その後、開発途中で同社の経営再建プランが実施されて市販計画の見直しを余儀なくされたものの、1991年8月には何とか北米デビューにこぎつけ、その1カ月後には日本でも市販モデルが発表された。
 新型はアルシオーネSVXのネーミングを冠する(北米版はSVXのみ)。SVXはSubaru Vehicle Xの略で、富士重工の未来に向けた車=ビークルX、具体的には新世代のグランドツーリングカーを意味していた。また、この車名に合わせるようにキャッチフレーズは“500miles a day”と称し、500マイルを一気に、しかも快適に走れる性能を有していることを声高に主張した。

車種展開の拡大と限定車のリリース

 デビュー当初は上級仕様のバージョンLと標準モデルのバージョンEという2グレード展開でスタートしたアルシオーネSVXは、その後、限定車や廉価グレードの販売などで車種ラインアップを拡充していく。
 1993年11月には富士重工40周年記念モデルとしてS40を300台限定リリース。バージョンEをベースに、ピーコックブルーメタリックの専用色、ブルーガラスのウィンドウ、モノトーン基調のインパネなどを採用し、車両価格はバージョンEより50万円近く安い283万6000円(東京標準価格)に抑えた。翌94年7月には、好評だったS40の2世代目となるS40Ⅱを限定300台で販売。さらに同年11月には、BBS製アルミホイールを装着したS3を登場させる。1995年7月には、アルシオーネSVXの最終型となるS4を発売した。

 限定車や廉価モデルの設定で販売拡大を狙った富士重工。しかし、バブル景気の崩壊によって高級スペシャルティ市場は急速に冷え込み、アルシオーネSVXの販売成績も伸び悩む。そのうちに日本市場ではレクリエーショナルビークル、いわゆるRVブームが巻き起こり、同社の販売の主力はレガシィへと移っていった。 結果的にアルシオーネSVXは1996年末に生産が中止され、同社のラインアップから落ちることとなる。総生産台数は2万4379台。このうちの国内登録台数は、わずか5951台だった。
 ちなみにアルシオーネSVXの生産終了時には、富士重工が把握していたアルシオーネSVXの国内オーナーに向けて社長名の挨拶状が発送された。挨拶状には、アルシオーネSVXに対する同社のこだわりと愛用への感謝、そして以後のアフターサービスを約束する旨が記載される。個性あふれる高級スペシャルティカーの生産中止を惜しんだのは、ユーザーだけではなく富士重工自身も--だったのだ。