セドリック 【1971,1972,1973,19741975】

伸びやかな高級パーソナルモデル

会員登録(無料)でより詳しい情報を
ご覧いただけます →コチラ


待望の2ドアHTが誕生!

 1971年2月、日産自動車は第三代目となる高級車セドリックをフルモデルチェンジした。大きな特徴は、パーソナルユースに対応した2ドアHTモデルを新たに設定したこと。モデルレンジでは同一となる旧プリンス系のグロリアを兄弟車として同じボディシェルを与えたことである。つまり、最大のライバルであるトヨタのクラウンHTに対抗するモデルが誕生し、さらにセドリックとグロリアの伝統2モデルが、細部を除いて同じクルマとなったのだ。セドリックとグロリアの同一化は、言うまでもなく、生産合理化を目的としたものであった。

宿敵クラウンと真っ向勝負

 1970年代初期当時の5ナンバー枠では最大のボディを持つ2.0リッター・クラスの国産乗用車シェアでは、ライバルのトヨタ・クラウンが60%を占めてほとんど独り勝ちとなっていたと。とはいえ、セドリック/グロリア連合は39%で第二位につけていた。クラウンに追い付けとばかりに、3代目を送り出す日産の意気込みは相当強かった。同時期に登場した4代目クラウンがどちらかと言えば前衛的で好き嫌いがはっきりと別れるスタイルであったのに比べ、個性をあえて抑え、当時のアメリカ車に範を採ったような伸びやかでオーソドックスなスタイリングを採用していた。これは誰からも支持されるようにとの配慮の結果だった。さらにクラウン以上にオーナードライバー層を意識し、2ドアHTに加えて1972年8月には日本初の4ドアHT加えるなど、積極的にラインアップの充実を図った。

全車2リッター、メカニズムは堅実

 新しいセドリックでは、フルモノコックボディを採用。フロントにダブルウィッシュボーン/コイルスプリング、リアにリジッドアクスル/半楕円リーフスプリングのサスペンションを組み合わせる。グロリアでは、大きな特徴であったド・ディオン式リア・サスペンションが、セドリックとの兄弟車になったことで消滅した。ブレーキはスタンダード以外のグレードの前輪には、サーボ付きディスク・ブレーキが標準装備となっている。
 エンジンやトランスミッションなどのパワー・トレーンは旧型からのキャリーオーバーとなっており、直列4気筒OHVが一種、6気筒OHCのL20型が2種あった。他にタクシー用のLPG(液化天然ガス)やディーゼルエンジンも選べた。エンジンの排気量はどのエンジンも1998ccとなる。トランスミッションは、マニュアル3速(コラムシフト)、マニュアル4速(フロアシフト)、3速オートマチック(コラム/フロア)の4種類を設定していた。

伸びやかな室内と豪華装備

 インテリアのデザインは、同時代のアメリカ車の造形をそのまま移植したような雰囲気を持つもので、メーター類の視認性や安全性について考慮されたデザインを採用していた。装備は実に豪華で、クラスの頂点を極めた観があった。主な装備としては、パワーウィンドー、パワーシート、カーステレオ、AM/FMラジオ、エアーコンディショナー、トランクオープナーなどがあった。無論、車種によって標準か選択装備となっていた。バリエーションは4ドアセダン、2ドアHT、ワゴン(バン)を合計して15車種があり、価格は77万5千円から138万円までとなっていた。ライバルのクラウンの同級車と比べて僅かに安価な価格設定である。
 第二次世界大戦の敗戦後わずか8年。1953年からの英国のオースティンA40サマーセット・サルーンのノックダウン生産(部品を輸入して国内で組み立てる)で始まった日産の乗用車生産は、この3代目セドリック/グロリアで完成の域に達した。小型車であるブルーバードとコロナで争われたBC戦争は、2.0リッター級の高級車セグメントでもCC(Cedric/Crown)戦争として再び激化したのである。