デボネアV 【1986,1987,1988,1989,1990,1991,1992】

22年ぶりにモデルチェンジした三菱の旗艦

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海外からの要請で新型を企画!?

 三菱自動車工業のフラッグシップモデルであるA33型系の初代デボネアは、1964年6月の発売以来、基本的な姿を変えずに1980年代半ばに入っても生産され続けていた。頻繁なモデルチェンジが繰り返される国産車群の中にあって、三菱自工のその姿勢は異質。A33型系デボネアには“走るシーラカンス”というありがたくないニックネームがついた。

 当時の三菱自工の関係者によると、「モデルチェンジの企画がないわけではなかった。コストの面から考えると採算をとれる可能性が少なかったので、棚上げになっていた」という。このまま旧態依然としたA33型系デボネアを造り続けるのか−−。ここで思わぬ要請が隣国の韓国から届く。当時、提携関係にあった現代自動車から「高級乗用車を開発してほしい。そして、そのクルマを韓国でノックダウン生産したい」と打診されたのだ。韓国では1988年にソウルオリンピックが開催されることが決定していた。国としては、VIPを送迎する新しい高級車がほしい。しかし、現代自動車には開発ノウハウがない……。最終的に現代自動車の首脳陣は、三菱自動車に高級車の開発を要請したのである。

ギャランΣをベースに開発着手

 開発費用の一部を現代自動車が負担するということで、コスト面での打開策を見い出した三菱自動車の開発陣は、新しい高級車の企画立案に乗り出す。基本シャシーは1983年8月にデビューした3代目ギャランΣ(ギャランとしては5代目)のFF用プラットフォームをベースに、ホイールベースの延長やエンジンルームの改良、サスペンションチューニングの見直しなどを実施することに決定。開発中の電子制御式サスペンション(ECS)や四輪アンチスキッドブレーキといった先進機構も積極的に盛り込む。高級車の肝となる内装のアレンジについては、新たな設計図を起こした。

パワーユニットはV6搭載

 搭載エンジンに関しては開発陣の悩みの種となった。新しい高級車は三菱自動車のフラッグシップモデルとなるだけに、エンジンが2Lクラスの直列4気筒では物足りない。しかし、コスト面を踏まえると、新たな6気筒エンジンの開発は難しい……。ここでまた、開発陣に朗報が届く。現代自動車と同様に、当時提携関係にあったアメリカのクライスラー社向けの、新型6気筒エンジン開発と生産が決まったのだ。これで新たにエンジンを開発しても採算が取れる−−開発陣は鋭意、高級車に搭載する新型6気筒エンジンの設計を推し進める。形式は広い室内空間が確保できるV型6気筒(Vの角度は60度)に決定。当時の三菱自動車の最新機構である層流燃焼も採用した。排気量については2972cc(6G72型)のほか、5ナンバー規格を欲するユーザーを考慮して1998cc(6G71型)を設定する。またミッションには、電子制御のOD付きELC4速ATを組み合わせた。

キャッチフレーズは“FFニュークラシック”

 三菱自動車の新しい高級車は、まず1985年開催の第26回東京モーターショーで参考出品され、翌1986年7月に市販版が登場する。車名は“デボネアV”。VはVIP(要人)やVICTORY(勝利)、そしてV型エンジン搭載車であることを意味していた。車種展開は全長4865×全幅1725mmの大型ボディに6G72型エンジンを搭載するロイヤル系のほか、5ナンバーサイズ(全長4690×全幅1695mm)のボディに6G71型ユニットを積んだスーパーサルーン系およびLGグレードを用意される。デボネアVは当初の予定通りに現代自動車でノックダウン生産され、“ヒュンダイ・グレンジャー”として韓国市場に投入された。

 22年ぶりで新型に切り替わったデボネア。しかし、ユーザーにインパクトを与えたのは「22年ぶりのフルモデルチェンジ」くらいで、“FFニュークラシック”というキャッチコピーを冠した直線基調のスタイリングや内装デザインなどは地味な印象に終始した。1980年代中盤はハイソカーと呼ばれる華やかなパーソナル指向の4ドアハードトップ車が人気を集め始めた時代。フォーマルなイメージのデボネアVは、市場の興味をそそらなかったのである。

個性的な車種設定の拡大

 デビュー後に実施された車種追加やマイナーチェンジ内容は、意外なほど“華やか”だった。
 デビューと同時期に発表され、後に販売に移された“3000ロイヤルAMG”は、メルセデス・ベンツのチューンアップメーカーとして名を馳せるAMG社が手がけたドレスアップモデルで、専用エアロパーツやアルミホイールなどを組み込んでスポーティに演出する。1987年2月になると、スーパーチャージャー付き6G71型エンジンを搭載した車種を追加。同年7月には、愛知三菱自動車販売がプロデュースしたリムジン(全長5465mm/ホイールベース3335mm)が発表される。1988年5月には、英国の有名ファッションブランドであるアクアスキュータムと提携して内装を仕上げた“2000スーパージャージャー・アクアスキュータム”を発売した。さらに同年8月には装備充実のエクシード系を、翌89年4月にはスポーティ仕様のツーリング系をリリースする。1989年10月になると、大がかりなマイナーチェンジが実施される。3Lエンジンは従来のOHCからDOHCのヘッド機構に一新。同時にミッションやサスペンションの見直しも図る。内外装もより豪華に仕立て直された。
 内外装からエンジンに至るまで、インパクトの強い様々な改良が施されたデボネアV。初代と同様、2代目もシーラカンス化するかと思われたが、1992年10月にはフルモデルチェンジが実施され、3代目となるS20型系に移行したのである。