パルサー 【1982,1983,1984,1985,1986】

“FF国際車”を目指した2代目モデル

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世界をリードするFF車の開発

 1980年代を見据え、日産自動車は新型車の開発を積極化させる。とくにベースラインを支える量販モデルで、しかも国際戦略車となるパルサーは、開発スタッフが大いに力を入れていた。
 開発チームは「FF車としての実質機能をより一層充実させ、スポーティな走りと経済性および快適性をあわせ持った世界をリードする先進のFF国際車」に仕立てることを目標に掲げる。その上で、実用性の高いハッチバックモデルとスポーティなクーペモデルのイメージを明確に分ける方針を打ち出した。

 スタイリングに関しては、スラントしたノーズとテーパードフード、後ろ上がりのルーフ、ダックテール形状のリアエンドを採用して先進的なフォルムを構築。同時に、パネル面のフラッシュサーフェス化を実施して、優れた空力特性を実現する。また、クーペモデルではクラス初のリトラクタブルヘッドライトを組み込んだ。

 インテリアは、居住空間の拡大(従来比で室内長+65mm、幅+5mm、高さ+25mm)を図った上で、インパネ形状の刷新やシート形状の見直し、装備アイテムの充実化などを実施した。ラゲッジスペース容量もクラストップレベルの201Lを確保した。さらに開発陣は室内の静粛性や耐振性にもこだわり、国産車初のサッシュロック機構やメルシートを挟んだ防振サンドイッチ鋼板の採用、エンジンマウントおよびサスペンションブッシュの改良などを敢行する。

エンジンは3タイプ。メカニズムは欧州基準

 エンジンはE13型1270cc直4OHC(75ps/10.7kg・m)、E15型1487cc直4OHC(85ps/12.3kg・m)、ニッサンEGI付きのE15E型1487cc直4OHC(95ps/12.5kg・m)を設定。E15E型には、減速時の燃料カットを4気筒と2気筒の2段階に制御するエレクトロニック・デュアル・フューエルカット=EDFを組み込む。トランスミッションは5速MTと4速MT、さらにクラス初のロックアップ機構付き3速ATを用意。またドライブシャフトのホイール側には新開発のバーフィールド型等速ジョイント(最大屈角46.5度)を採用し、最小回転半径の向上を図った。

 サスペンションは欧州流にチューニングを大幅に見直した前マクファーソンストラット、後トレーリングアームの四輪独立懸架で、最上級仕様のTS-GEグレードには高性能なエンジンに対応する専用セッティングを施す。ステアリング機構には、ギア比を最適化させたラック&ピニオン式を採用した。

“ファンタスティックNEWパルサー”の登場

 日産渾身のFF国際車となる2代目パルサーは、N12の型式を付けて1982年4月に市場デビューを果たす。ボディタイプは3ドア/5ドアハッチバックとクーペを用意。クーペモデルには、専用サブネームの“エクサ”が冠せられた。またグレード展開は、3ドアハッチバックが10車種、5ドアハッチバックが11車種、エクサが3車種の計24車種を設定し、幅広い需要に応えられる体制を整える。

 キャッチコピーに“ファンタスティックNEWパルサー”と付けられた2代目は、その先進的でスポーティなキャラクターが市場で高く評価され、好調な販売成績を記録する。また、重要なマーケットである欧米でも人気を博し、日産の主要海外モデルとして確固たる地位を築いていった。

ワールドカーとして発展。別名“ミラノ”

 好調なセールスを維持しようと、日産の開発陣はデビュー後も積極的にN12型系パルサーの改良やラインアップの充実、そして海外市場での拡大展開を実施していく。
 1982年6月には、3ボックススタイルの“サルーン”を追加設定。1983年5月には、ターボチャージャー機構を内蔵したE15ET型エンジンとCD17型ディーゼルエンジンを組み込んだ仕様を設定する。また同年、イタリアのアルファロメオ社との共同出資で設立したARNA(Alfa Romeo Nissan Autoveicoli)から、N12型系パルサーをベースにアルファ独自の水平対向4気筒エンジン&トランスミッションおよびフロントサスペンションを組み込んだ“アルファロメオ・アルナ”が発売された。

 N12型パルサーは1984年3月にマイナーチェンジを実施する。これ以降、欧州市場での人気に呼応して“パルサー・ヨーロッパ”のキャッチを冠するようになり、グレード名にも“ミラノ”を付けるなど、欧州指向の小型車であることを強調する戦略を打ち出す。一方、北米市場で好評を博すパルサー・エクサのラインアップ拡大も図り、1985年6月にはオープンボディの“エクサ・コンバーチブル”を発売した。
 日産の車種ラインアップにおいて、日本のみならず海外市場でも重要度を増していったパルサー。以後、同車は国際車としてのキャラクターをいっそう強めていくこととなった。