デボネア 【1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1978,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985,1986】

長寿を誇ったフラッグシップサルーン

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デボネアとは優雅さ、風格を意味する

 三菱自動車の前身である三菱重工の自動車部門は1955年4月に通商産業省が公表した「国民車育成要綱案(国民車構想)」に応える形で「三菱500」を発表。小型乗用車生産へ参入する。その後「三菱コルト600(1962年)」、軽自動車の「三菱ミニカ(1963年)」、「三菱コルト1000(1963年)」、と立て続けに新型車をデビューさせた。新車ラッシュは、豊富な資金力を誇る三菱グループのバックアップがあればこそ。たちまち三菱重工業の自動車部門は、トヨタや日産に次ぐ自動車メーカーに成長した。

 フルライン自動車メーカーを目指す三菱重工の自動車部門は、1963年の第10回東京モーターショーに、全く新しい2.0リッター級の高級セダンを発表する。プロトタイプとして展示されたそのモデルには「三菱コルト・デボネア」の名が与えられ、翌1964年6月から「三菱デボネア」として発売される。ほぼ時を同じくして三菱重工業の自動車部門は独立し、三菱自動車となった。デボネアは新会社設立のお祝いモデルでもあった。ちなみに「デボネア(Debonair)」とは、優雅さとか風格を意味する英語である。

外国人デザイナーの起用で伸びやかな造形を実現

 デボネアはクラウンやセドリック、グロリアといったライバルとは趣が異なる高級サルーンだった。個人ユーザーをほとんど意識しておらず、後席に企業のトップを乗せるショーファードリブンとして企画されていたからだ。企業のトップが乗るに相応しい威厳の演出のために起用されたのが、元GMデザイナーのハンス・S・ブレツナーである。高級サルーンに造詣の深いブレツナーは、実際の寸法以上に大柄に見える伸びやかなフォルムを創造する。

 デボネアは日本の道に適した5ナンバーサイズながら、当時のキャデラックやリンカーンといったアメリカ製高級車に負けない存在感を放った。しかもモールなどの装飾で豪華さを演出するのではなく、ボディラインそのものに抑揚を付けることで個性を演出した点が新しかった。ちなみに1964年にデビューした初期型モデルのリアフェンダーには砲弾型のサイドマーカーが配置されていた。これはブレツナーがスピード感の演出のため好んで採用した手法。初代デボネアは、端正で落ち着いたフォルムの中に、さりげなくデザイナーの遊びゴコロを散りばめていた。

三菱技術陣のこだわりが結実したメカニズム

 デボネアはパワフルな新設計エンジンを搭載する。1991ccの排気量を持つ6気筒KE64型は新三菱京都製作所が開発を担当。オーバースクエア&ハイカムシャフトによる高トルク型に仕上げられていた。とくに吸排気系のチューニングは入念に行われ、キャブレターはストロンバーグ型2バレル式を2連装、排気系は3気筒づつを1本にまとめたデュアルエグゾーストを採用していた。この他にも自動クラッチ付きのナイロン製ファン、クランクシャフトプーリーなどの先進設計を惜しみなく投入し、クラストップ級の最高出力105ps/5000rpm、最大トルク16.5kg・m/3400rpmを実現した。

 最高速度は実測値で155km/h。0→400m加速データも19.2秒と俊足だった。トランスミッションは3速+ODの4速マニュアル型。ボルグワーナー製のオートマチック・トランスミッション付きモデルは1965年4月からバリエーションに加えられた。

 全長4670mm、全幅1690mm、全高1465mm、ホイールベース2690mmのボディサイズはライバルであるトヨペット・クラウンや日産セドリックよりやや大きい。駆動方式は縦置きエンジンによる後2輪駆動である。ステアリングはリサーキュレーティングボール式でパワーアシストは無い。サスペンションは前・ダブルウィッシュボーン/コイル・スプリング、後・半楕円リーフ/リジッド・アクスル。ブレーキは4輪ドラムタイプとなっていた。

22年間フラッグシップを務めた傑作モデル

 デボネアの価格は125万円。直接的なライバルであったクラウン・デラックスの105万円、セドリック1900デラックスの103万円に比べて高価だった。エアーコンデショナー(15万円)、フルリクライニングシート(2万円)などはオプショナル設定となっていた。

 デボネアは、1964年7月にデビューし1986年8月にデボネアVにバトンタッチするまで22年の長きに渡って三菱のフラグシップに君臨する。技術進化の激しい時代に基本設計を変えずに生き抜くことが出来た秘密は、適宜パワーユニットをアップデートしたからだった。1960年代をKE94型6気筒エンジン(105ps/16.5kg・m)で駆け抜け、1970年9月には新世代のサターンユニットに換装。サターンユニットは効率に優れたOHC機構を採用。1994ccの排気量から130ps/6000rpm、17kg・m/4000rpmを発揮した。好評を博していたギャラン用サターンユニットの6気筒版で、パワー&静粛性ともにライバルを凌いでいた。

 1976年6月には昭和51年度排出ガス規制に適応したクリーンなアストロン80型にエンジンにアップデートを果たす。アストロン80型は2555ccのトルクフルな4気筒ユニットで、高級車に相応しいスムーズさの実現のためサイレントシャフト機構を組み込んでいた。パワー&トルクは120ps/5000rpm、21kg・m/3000rpm。排気量アップによりトルクフルになり加速力がアップしたのが特徴だった。