ルーチェ 【1972,1973,1974,1975,1976,1977】

いち早く低公害を目指したフラッグシップ

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先進の低公害AP仕様を設定

 1972年10月第二世代となったルーチェは、当時のマツダの最高級モデルであり、シャシーやボディーは新設計とされた。ボディーバリエーションは4ドアセダン(通常のセダンとハードトップと同じマスクを持つスポーティなカスタムの2系統)と2ドアハードトップの2種。

 エンジン仕様は基本的にカペラシリーズにも使われている12A型の2ローターロータリーエンジン(1973年4月にレシプロエンジンを追加)で車種により、130psと120ps、そしてAP(Anti Pollution)と呼ぶ排気ガス対策車の115psの3種のチューンを使い分けていた。トランスミッションはこれもカペラと同じマニュアル型が2種(4速/5速)とオートマチックが1種である。

 駆動方式はフロントエンジン、リアドライブとオーソドクスな設計。サスペンションは前がマクファーソンストラット/コイルスプリング、後がトルクロッド付きリジッドアクスル/リーフスプリングの組み合わせ。ブレーキは前がディスク、後がドラムでサーボ機構が付く。

造形はダイナミックなアメリカ調

 先代のルーチェはジウジアーロの傑作のひとつに数えられるヨーロッパ調のスタイリング・デザインだった。2代目は一転して、アメリカナイズされたスタイリングに変わった。これはアメリカへの輸出が好調であったことを裏付けていた。世界初と言える本格的なロータリーエンジン搭載車であるコスモスポーツを1967年に発売して以来、その高性能と静かさでロータリーエンジンは、特にアメリカ市場で高い人気を獲得しつつあった。今日ほど燃費については問題とはならず、燃料費の安価なアメリカでは特に新しさも手伝って販売は好調だったのである。

 新型ルーチェのスタイリング・デザインは、もはやヨーロッパなどのカロッツェリアの手を借りることなく、自社デザイナーによるものであった。東洋工業だけではなく、日本の自動車メーカーの多くが、量産車のスタイリング・デザインでもようやく独り立ち出来るようになったのだ。

ロータリーのクリーンさを印象づけたAPモデル

 2代目ルーチェは、日本初の低公害車を設定していた。AP(Anti PolLution)と名付けられセダン、カスタム、ハードトップである。デビュー当初のAPは米国カリフォルニア州の1974年規制をクリアーしていたものの有名な米国マスキー法や日本の昭和50年排気ガス規制には未対応だった。しかし1973年12月にマスキー法&昭和50年規制、さらに1975年10月にはライバルに先駆けて昭和51年規制に対応させ、ロータリーエンジンのクリーンさを印象づける。

 当初のルーチェAPの排気ガス対策は、エンジン本体の改良とともに、2次エア噴射装置、サーマルリアクター、点火制御装置、減速装置の4アイテムで構成されていた。排気ガス中に含まれるHC(炭化水素)やCO(一酸化炭素)を、再燃焼させることでクリーンエアを実現させるようにしたもので、排気ポートに2次エア噴射装置で酸素を与えサーマルリアクター内で燃焼させていた。排気ポート部の排気音が高温になるロータリーエンジンの特質を生かした排気ガス対策である。ちなみにNOx(窒素酸化物)の排出はもともとロータリーは低かったため対策の必要はなかった。

 ルーチェAPは標準モデルとほとんど変わらない自然なドライバビリティを実現していた。価格は9.5万円高だったが、環境意識の高いユーザーには積極的に支持された。しかしもともと良好でない燃費がさらに悪化したのは事実だった。燃費問題はその後ルーチェに深刻な影を落とすことになる。

燃費がアキレス腱に、マツダの苦闘

 ロータリーエンジンの好調は長くは続かなかった。1970年代初頭に起こったオイルショックは、燃費の決して良くなかったロータリーエンジンの人気を一夜にして奪う結果になった。排気ガスのクリーンなことは大きな特徴であったが、燃費の悪さの方が目立ってしまったのだ。ロータリーエンジンの人気は凋落し、マツダのモデルレンジからロータリーエンジン搭載のモデルが相次いで姿を消すことになった。だが、マツダはそれ以降もロータリーエンジンを地道に改良した。
 第二世代のルーチェは、ロータリーエンジン搭載車として、その存在は無論のこと、性能的にもトップモデルとして記憶されるクルマといって良い。