シルビア 【1965,1966,1967,1968】

宝石のような輝きを放った鮮烈クーペ

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将来のスポーツカー像を予見したクーペ

 1964年9月に開催された第11回東京モーターショーに、日産自動車はプロトタイプの「ダットサンクーペ1500」を展示した。
 ダットサンクーペ1500は、フェアレディ1500をベースとしていた。おそらく、将来的にはフルオープンのスポーツカーより、快適に乗れるクローズドボディが主力になるであろう事を見越しての新型車開発であったと思われる。スポーツモデルがオープンからクーペに転換する世界的な流れは、1969年にフェアレディZが登場することで確実なものになるのだが、それは未だしばらく後のことである。ショーモデルとして登場したダットサンクーペ1500は、翌1965年4月に「日産シルビア」のネーミングで正式販売された。ちなみに、「シルビア(Silvia)」とは、古代ギリシア神話に登場する乙女の名から採ったものである。

エンジンは新開発1.6リッターを搭載

 シルビアはフェアレディ1500をベースとしていることから、フレーム構成はブルーバード310のものにXメンバーを加えて補強したラダータイプで、サスペンションもフロントがウィッシュボーンとコイルスプリング、リアがリーフスプリングに担われた固定軸と変わりがない。ただし、シルビアのボディは、リアのオーバーハングを切り詰めていることから、フレームの後端部分は数センチ切り落とされていた。

 フロントに搭載され、後輪を駆動するエンジンは、排気量をフェアレディ1500の1488ccから1595ccに拡大した新開発の直列4気筒OHVで、圧縮比9.0と日立製のSU型キャブレター2基を装備して、90ps/6000rpmの最高出力と13.5kg-m/4000rpmの最大トルクを得ていた。クラッチは日産車としては初めてのダイヤフラムスプリング付きとなり、クラッチの踏力軽減に寄与している。トランスミッションは4速MTで、全段にボークリング型のシンクロメッシュ機構を持つ。ブレーキはフロントにダンロップ社製ディスクブレーキが装備され、タイヤは5.60-14サイズのバイアス仕様だった。

美しい鋭角的ラインのクリスプルック

 スペシャルティカーとしての性格が強い「シルビア」の最大の特徴は、個性的なボディスタイリングにあった。ドイツ人デザイナー、アルブレヒト・ゲルツ(Albrecht Goertz)がアドバイスを与えたと言われるスタイリングは、クリスプルックと呼ばれるもので、シャープなエッジラインをテーマとしており、時代を超えて美しいデザインであった。
 インテリアもベースとなった「フェアレディ1500」とはまったく異なるものとなっている。ゲルツは、1955年に登場したBMW507のスタイリングデザインを手がけたことでも知られる。

ボディの製作は熟練者の手作業

 シルビアのスタイリングは、当初からプレスによる大量生産を前提としたものではなかった。ほぼすべてのボディパネルは、日産系のコーチビルダーであった殿内製作所(現トノックス)の熟練工たちの手作業で造られたと言われている。

 車両重量はクーペボディとなったこともあり、980kgと、ベースとなった「フェアレディ1500」より70kgほど重くなっている。最高速度は165km/h、0→400m加速は17.9秒と、スポーツカーあるいはグランツーリスモと呼ぶに十分な高性能を維持していた。エンジン排気量の拡大による出力向上やクーペスタイルによる空気抵抗の減少などの相乗効果だろう。
 ボディバリエーションは2ドアクーペ一種のみの設定。価格はさすがに高く、120万円で、同じ時期の日産車中の最高級車である「セドリック カスタム6」より20万円も高価だった。

ダットサンではなくニッサンを冠す

 ベースとなった2シータースポーツカーのフェアレディ1500がダットサンのブランド名を冠していたのに対して、シルビアにはニッサンブランド名が冠せられていた。同じシャシーであるのに不思議な気もするが、それにはエピソードがある。

 プロトタイプとして完成したダットサンクーペ1500を見た当時のニッサンのトップが、そのスタイルの美しさと仕上がりの良さに感動し、「ダットサン」のネーミングにはふさわしくないと判断。実際の発売に際しては「ニッサン」の名を冠することにしたのだと言う。それほど、イメージリーダーとしてこのシルビアに期待するところが大きかったのだろう。高価であったために販売台数は多くなく、第一期のシルビアの総生産台数は554台であった。