有料駐車場の歴史02 【1961〜1990】

休日スタイルの変化がもたらしたもの

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休日はマイカーでドライブが流行

 モータリーゼーションの発達は、休日の過ごし方を変える。従来は鉄道を利用した観光スタイルが中心だった。しかしマイカーを手にしたファミリーは、こぞってマイカーで休日をエンジョイするようになる。観光地には駐車場が必須条件となり、道中の渋滞の具合とともに、ドライブ先でクルマを駐車できるか否かが目的地を決める上で大きな要素となっていく。

混雑を極めた湘南の海

 夏ともなれば、海に繰り出すのが定番スタイル。これは昔も今も変わらない。1960年代初頭から東京からほど近い湘南・江ノ島近辺は、日帰り海水浴客たちの人気スポットとなった。これには1959年に通称“ワンマン道路”と呼ばれた国道1号バイパス(横浜新道)が開通し、快適なドライブが楽しめるようになったことも大いに影響していた。

 埃だらけの道で海を目指すのではなく、快適な自動車専用ロードで、湘南の海を目指すのが、第一次マイカー族の“憧れの休日スタイル”となったのだ。しかし、憧れの高まりは、瞬く間に駐車場のキャパシティを超えてしまった。
 江ノ島は当時としては最大級の駐車スペースを用意していたものの、夏は早朝には早くも満車となり、朝10時ともなると国道134号線は駐車場待ちのクルマで大渋滞。午前中に東京を出発しても湘南に到着するのは夕方。しかも駐車場が満車で海に入ることなくまた東京へと戻るマイカー族が続出した。

 1960年代は、現代よりさまざまな事象の時間の流れがのんびりとしていたものだが、こと休日の交通渋滞と駐車場の確保競争だけはシビアだった。

“秘境探訪”が生んだ新たな問題

 アジア初の万国博覧会として注目を集め、日本の先進ぶりを世界に表明した“大阪万博”も、駐車場の重要性を証明したイベントだった。万博が開催された1970年、新幹線はまだ東海道新幹線を除き整備されていなかった。日本全国から万博会場を目指したのはマイカーと観光バス。3月15日から9月13日まで6ヶ月に渡った会期中、大阪万博には6421万人を超える入場者が詰めかけたが、その多くがマイカー&観光バスの利用者だった。
 巨大な駐車場が用意されたものの、いつでも満車状態。会期中の駐車場利用台数は281万7448台に上り、駐車場収入は13億5000万円にもなった。大阪万博以降、大きなイベントには、十分なキャパシティの駐車場が必要なことが一般常識となる。

 クルマはさらに、従来は訪れること自体が難しかった秘境も身近なものとした。道さえあれば、どんなに遠くても、急峻な山でも行き着けるようになったのだ。マイカーであれば鉄道のように乗り遅れる心配はないし、やっかいな乗り替えも必要ない。荷物だって大量に持っていける。海とともに山に向かうマイカー族は一挙に増加する。

 長野県西部、飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地、上高地もそのひとつ。標高1500mの高地にあり貴重な自然が広がる上高地だが、マイカー族の急激な増加は環境の悪化、自然破壊をもたらした。美しい自然を愛でるために訪れる観光客自身が、環境を悪化させる矛盾。これはマイカー普及に伴う観光スタイルの変化がもたらしたものだった。

 とくに1970年代に入ると影響は無視できなくなり、1975年には観光客が集中する7-8月の夏期期間のマイカー乗り入れ規制がスタートする。マイカー族は、長野県側の沢渡か、岐阜県側の平湯温泉にクルマを駐車し、バスかタクシーで上高地まで上がることになった。いわゆる“パーク&ライド方式”による交通量規制である。マイカー族にとってみれば、ちょっぴり不便になるものの、上高地の自然を守るためには最善のシステムである。付帯要素として大きな駐車場が用意された沢渡と平湯温泉の観光収入増加も地元としては無視できないメリットといえた。

駐車ではなく、見せるパーキング!?

 モータリーゼーションの進捗は、駐車場の使い方そのものも変革する。象徴的なケースは1989年に首都高速道路・湾岸線に設置された大黒パーキングエリアだった。大黒パーキングエリアは駐車台数341台を誇る首都高速最大のパーキングエリアで、横浜ベイブリッジと横浜港が一望できることからオープン当初から大きな人気を集める。

 ドライブの目的地として大黒パーキングを目指すのが若者のトレンドとなっていった。土曜日の夜ともなるとローライダー、バニング、チューニングカーなど、さまざまにドレスUPを施したカスタムカーが続々と集まり、さながら“解放区”のような賑わいを見せるようになる。しかしそれに伴い一般利用客の使用に支障をきたすようなってしまった。警察や首都高側の管理サイドは、カスタムカーによる大黒パーキングの私物化を様々に制限。パーキングスペース自体の作りにも変更を加えることで対処した。現在ではカスタムカーの姿はごくごく少数派。いまでも年末・年始の封鎖処置や、利用制限は続いている。