MR-S 【1999,2000,2001,2002,2003.2004,2005,2006,2007】

操る楽しさを凝縮したミッドシップ・オープン

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走りの歓びを凝縮した新世代ミッドシップの誕生

 MR-Sは、ミッドシップ・レイアウトの優れたハンドリングを楽しむオープン2シータースポーツとして1999年10月に登場した。ネーミングこそ異なるが、実質的にはMR2の後継モデルである。適度な出力を持つパワーユニットと軽量ボディを組み合わせることで、誰もが爽快なドライブングを楽しめるようにしたライトウェイトスポーツだ。キャラクター的には初代MR2の性格を継承しており、クーペボディだったMR2から発展し、新たにフルオープンとしていたことが特徴だった。

ドライビングの楽しさをピュアに追求

 MR-Sには「クルマは人が楽しむために存在すべきである」という開発者の想いが結実していた。MR-Sは、純粋な2シーターで独立したトランクスペースも存在しない。多くの人と荷物をA地点からB地点に運ぶツールとしては不合格だった。しかしMR-Sにはドライビングの楽しさが凝縮されていた。

 風を感じるフルオープンボディ、ビビッドなハンドリングを実現したミッドシップ・レイアウト、そしてドライバーとクルマの一体感を際立たせる徹底した軽量設計。クルマを構成するすべての要素が、走りの歓びに直結していたのだ。ある意味、MR-Sほどピュアなクルマはなかった。カタログに記載された「ハイレスポンス、ハイスタビリティが描き出すクルマとの一体感。ふりそそぐ光、心地よい風、全身で感じる開放感。やがて心のなかに沸き上がる喩えようのない歓び。このMR-Sを通して、忘れかけていた何かを、かつて味わったことのない感動を手にしていただけたら、これ以上のことはありません」というメッセージがMR-Sの魅力を見事に表現していた。

軽量設計が痛快な走りの原点

 MR-Sが最初に人々の目に触れたのは1997年の東京モーターショーである。「MRJ」のネーミングで参考出品されたモデルは、すでにMR-Sと同等の高い完成度を誇っていた。力でねじ伏せるスーパースポーツではなく、地球環境に寄り添う等身大のスポーツというMRJのコンセプトは時代の空気を見事に反映していた。このモーターショーにはライバルとなる2代目のマツダ・ロードスターが出品されていたこともあり、新世代ライトウェイトスポーツとして大いに注目を集めた。

 1999年10月に市販を開始したMR-Sは痛快なクルマだった。シート背後に横置きに搭載し、後輪を駆動するパワーユニットは、排気量1794ccの直4DOHC16Vの1ZZ-FE型。パワースペック自体は140ps/6400rpm、17.4kg・m/4400rpmと平凡だったが、1トン弱の軽量ボディには十分だった。吹き上がりは軽快でスムーズ、スピードの伸びもよかった。しかもレギュラーガソリン仕様で、10・15モード燃費が14.2km/Lと経済的なのも魅力だった。ハードなスポーツ走行にトライしても10km/Lを割ることはめったになく、高速ツーリングでは15km/Lオーバーを楽々と叩き出したのだ。

ベストハンドリングでドライバーを魅了

 ハンドリングも絶妙だった。ここにも軽量化の利点が存分に生きていた。前後のオーバーハングを切り詰めた2450mmのホイールベースを持ち、エンジンをはじめとする重量物をクルマの中心位置に搭載したミッドシップ方式の利点は明快だった。ステアリングの反応はドライバーの意志にあくまで忠実で、スタビリティも優秀。ミッドシップ方式にありがちな神経質な面はほとんどなく、シャープなハンドリングという美点のみが際立っていた。

 MR-Sは直線路ではパワフルなスーパーモデルに遅れを取るが、コーナーが連続するセクションになると、いつの間にか追いついてしまうクルマだった。しかもドライバーをワクワクさせる術に長けていた。素直な操縦性がいつまでもワインディングロードを走っていたい気分にさせたのである。

 この走りの美点にオープンエアの爽快さがトッピングされていたのだ。しかも最上級モデルでもプライスタグは200万円を切っていた。内容を考えると望外のバーゲンプライスである。MR-Sはトヨタから走りを愛するドライバーへの贈り物と言えた。2000年8月には電子制御シーケンシャル式5速MT仕様を加え、2ペダル・ドライブも実現。ユーザーニーズに応えた。