ミゼットMP5 【1962,1963,1964,1965,1966,1967,1968,1969,1970,1971】

庶民の生活を支えた愛すべき働き者

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最初のDKA型は1957年にデビュー!

 1962年、ダイハツ工業はミゼットの改良型MP5を発表した。これが、軽3輪トラックのミゼットシリーズの最終発展型となるものであった。車名の「ミゼット(Medget)」とは、超小型を意味する英語である。

 1957年8月にデビューした最初のダイハツ・ミゼット(DKA型)は、小型3輪トラックをそのまま忠実に縮小したもの。スチール製のラダーフレームに前1輪、後ろ2輪の9.0インチサイズの車輪を配置し、モーターサイクルと同様に跨座式のシートとバーハンドルを持っていた。10ps/4500rpmを発揮する排気量249ccの2ストローク単気筒、強制空冷装置付きエンジンをドライバーの足の間に置き、3速マニュアルのトランスミッションを介して後輪を駆動。最大積載量は300kgで、最高速度は67km/hと実用上は十分なものだった。

 エンジンは薄い鉄板でカバーされ、1枚ガラスのフロントウインドウとレッグシールド、キャンバス製ルーフを持ち、サイドドアはなかったが、吹き曝しのモーターサイクルなどに比べればはるかに快適だった。極端な簡素化と目的に忠実なデザインはたちまち人気を集め、23万円という価格も手伝ってベストセラーとなった。コメディアンの大村昆と佐々十朗が演じた人気TV番組でのコマーシャルも販売増の大きな力となった。
 DKA型ミゼットは、スターターモーターの装備(1959年5月)、補助席の装備などの装備の充実やエンジン性能の向上などを加えながら、1959年9月まで生産された。

丸型ハンドルと密閉キャビンのMP型に進化

 DKAシリーズに代わって、1959年10月にデビューしたのが前開きドアを持った密閉型キャビンと丸ハンドル、2人乗りとしたMPシリーズで、フレーム構成はDK型と変わらないが、1対のヘッドライトや前輪をカバーするフェンダー、三角窓などを備えており、これも車輪の1個足らない軽4輪トラックと言えるもの。

 MPシリーズのエンジンは、空冷(強制空冷装置付き)の排気量249ccであり、DKシリーズに等しいもの。これは、すぐに排気量を拡大して305ccとなり、出力も12ps/4500rpmへと向上する。全長2970mm×全幅1295mm×全高1510mm、ホイールベース1740mmのサイズは、国産車の中でも小さく、まさにミゼットの名にふさわしいものであった。

 「小型車の進化は、増え続ける車体重量との飽くなき戦い」とは良く言われることだ。ダイハツ・ミゼットの場合も例外ではなく、実用性の充実と性能の向上は、徐々に車体重量の増加をもたらすことになる。けれども、最初のDKシリーズから基本的なシャシーレイアウトに変化がなかったことは、当初の設計がいかに正しかったかの証明である。もちろん、エンジンの排気量を拡大して出力とトルクを高めて、走行性能を向上させ、積載量を増やすために、荷箱の寸法を増したことなどは、軽トラックとしての実用性を高めることが目的であり、無駄に流行を追いかけ、スタイルを豪華に見せるためではなかった。

最終MP5-1型はオイル分離給油方式を採用

 1962年にデビューしたMP5型は、1963年にMP5-1型に進化する。エンジンは空冷2ストローク単気筒のまま、排気量は305ccにまで拡大され、出力は12.0ps/4500rpmにまで向上した。また、2ストローク・エンジンの潤滑には付きものだった混合燃料方式は分離給油方式に改められた。前輪のブレーキは最後まで装着されなかったが、これはパニックブレーキなどの際の安定性向上のためだった。標準仕様のピックアップと、荷室をスチール製の荷室カバーでカバーしたバンの2種から選べ、バンでは車重は445kgにまで増加したが、エンジン性能に余裕があったため、最高速度65km/h、登坂能力11.5度と性能的にはピックアップ型と変わらない。円形ステアリング、2名乗車はMPシリーズ以来のものである。

海外でも愛されたミゼット!

 ミゼットは海外でも注目され、1959年頃から本格的な輸出がスタートする。まずタイ、インドネシア、イラン、パキスタンなどの土を踏み、その後、ペルーやドミニカ、ベネズエラなど南米諸国への輸出が始まる。アメリカへもDKインターナショナル社経由で左ハンドル仕様が輸出された。
 アメリカ市場では「トライモビル」を名乗り、工場内の配送トラックなどとして活躍。一部モデルはギア比の見直しで約3トンもの牽引能力を獲得し、飛行場の牽引車として使われた。ちなみに丸型ハンドル&油圧ブレーキを装備し、キャビンも大型化したMP型は、当初はアメリカ輸出用として開発され、後に国内でも販売された。

 ダイハツ・ミゼットはMP5シリーズを最後に、1971年12月を以て15年間に及んだ生涯にピリオドを打ち、生産が中止された。ア総生産台数は各型併せて31万7152台であった。日本の軽自動車を代表する一台として、歴史に残る名車である。