99 【1967,1968,1969,1970,1971,1972,1973,1974,1975,1976,1977,1078,1979,1980,1981,1982,1983,1984,1985】

ターボの魅力を世界に知らせた北欧のエポック車

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96より1クラス上の乗用車を企画

 第1世代乗用車の最終形となる「96」の成功によって、自動車メーカーとして確固たる地位を築いたサーブ。この上昇気流をさらに高めようと、首脳陣は1960年代中盤に新たなプロジェクトを立ち上げる。96の1クラス上となる上級モデルの設定を画策したのだ。当初は96よりも小さな大衆車の設定を模索したが、ライバルが非常に多いこともあって断念。代わって目指したのが、アメリカ市場への輸出にも有効な上級乗用車のラインアップだった。

“Gudmund”のプロジェクト名が付けられた上級乗用車の開発は、これまでの先行研究や市場調査の結果を活かしながら大胆かつ秘密裡に進められる。車両デザインについては、96に続いてシクステン・セゾンが主導。空力特性と安全性を高い次元で両立させたスタイリングを創出していく。搭載エンジンについては、一考を要した。大気汚染問題に対応する目的で4ストロークエンジンの採用を前提としたものの、自社で上級乗用車にふさわしいパワートレインをゼロから開発するには、資金面で非常に厳しかった。思案している最中、開発陣にひとつの話が舞い込む。英国のレイランド・グループの一員であるトライアンフが、エンジン設計会社のリカルドとともに上級乗用車に使えそうなエンジンを新設計しているという情報だ。最終的にサーブは、この新エンジンの採用を決断。交渉の末、トライアンフと1965年2月に提携を結んだ。

 リカルド設計、トライアンフ製造のパワートレインは新開発のセダンボディに載せられ、走行テストを積極的に行っていく。この時、公道の試験では既存のロゴの文字を組み合わせた“Daihatsu”のエンブレムをつけてカモフラージュした。

「99」の車名で市場デビュー

 サーブの上級乗用車は、「99」の車名をつけて1967年11月に本国ストックホルムで発表、翌1968年の秋に市販を開始する。ボディタイプは2ドアセダンの1タイプでスタートした。
 99の基本骨格はロールケージ構造のスチールモノコックボディで、6本のスチールピラーや耐久性の高いプラットフォームなどを約6000カ所の溶接で組み上げる。ボディ前後には衝撃吸収構造を採用。そのうえで、空気抵抗係数(Cd値)0.37というエアロフォルムを実現した。サスペンションには進化版の前ウィッシュボーン/後ビームアクスルをセット。また、制動機構にはデュアルサーキットシステムの前後ディスクブレーキを、操舵機構にはラック&ピニオン式を採用する。エンジンはトライアンフ製の1709cc直列4気筒OHC(80hp)を右に45度傾けて縦置きに搭載。駆動方式はFFで、エンジンの下にフルシンクロ4速MTのトランスミッション、エンジン前にクラッチ機構を配した。

 エクステリアに関しては、96よりも大型化したボディにホイールアーチ上まで回り込んだフロントフード、ラウンディッシュなフロントウィンドウ、傾斜をつけたリアピラー、フラットなサイドシルなどによって個性的かつ整備性に優れるスタイリングを構築する。内包するインテリアは、広い居住空間を確保したうえで機能性と安全性を最大限に重視してデザイン。とくに安全性については、インパネやドアライニング、ピラーなど乗員の周囲のパーツに衝撃吸収パッドを張っていたことが特長だった。

車種バリエーションの拡大とエンジンの高性能化

 1969年にはトラックやバスなどを製造していたスカニア社を合併し、SAAB-SCANIA ABを設立して経営規模の拡大を図ったサーブは、同時に新ジャンルのモデルである99の改良も精力的に実施していった。

 1970年モデルでは、ボルグワーナー製の3速ATやボッシュ製のインジェクションを組み込んだ仕様を設定。さらに、新ボディバリエーションとして4ドアセダンを追加設定した。1971年モデルでは、ボアを83.5mmから87.0mmに拡大して排気量を1854ccとした直列4気筒OHCエンジン(キャブレター仕様86hp、インジェクション仕様95hp)を採用し、モアパワーを求めていたユーザーに対応。また、インパネ造形の変更やヘッドランプウォッシャー&ワイパーの装備なども実施する。

大幅改良エンジン搭載のEMSで商品力を向上

99シリーズのバリエーション充実は1972年に入っても続く。1月にはスポーティバージョンの「99 EMS(Electronic Manual Special)」を発売。従来エンジンをベースにサーブの技術陣が改良した1985cc直列4気筒OHCユニットは、燃焼室形状の変更やクランクシャフトの強化、冷却経路の見直し、ボッシュDジェトロニックインジェクションの採用などにより、最高出力が110hpにまで引き上がる。この新エンジンは、ストックホルム近郊のソーデルテリエに新設した工場で生産された。また、EMSはエンジンのパワーアップに即して足回りなどのセッティングも変更。最高速度は170km/hに達した。

 1974年モデルでは、「コンビクーペ」と称する独特のスタイリングを採用した3ドアハッチバックがラインアップに加わる。コンビは航空機業界では貨客混載を意味。車両デザインはシクステン・セゾンのもとで修練を積み、彼の死後はサーブ・デザインのトップを務めたビョルン・エンヴァールが担当する。リアセクションをセダン比で100mmほど延長し、バンパーレベルから開く大きなハッチゲートとラゲッジルーム、さらに可倒機構付きリアシートを備えたコンビクーペ(アメリカ市場などではワゴンバックと呼称)は、スタイリッシュな外観にワゴンに匹敵する積載性を有する個性派モデルとして、サーブ車のシンボリックな存在に発展した。

独自の考えでターボチャージャーを採用

 1975年モデルでは搭載エンジンを1985ccの1機種に絞り、1976年モデルになると5ドアのコンビクーペを設定した99は、1978年モデルで画期的な1台をラインアップに加える。1976年8月にコンセプトモデルを公開し、1977年開催のフランクフルト・ショーで発表した高性能バージョンの「99ターボ」だ。

 パワートレインは、後にサーブの“ターボエンジンの父”といわれるパー・ジルブランドや旧スカニアでディーゼルターボを手がけた経験を持つベント・ガデフェルトらが開発した1985cc直列4気筒OHC+ギャレットエアリサーチ製T3ターボエンジン(145hp)を採用する。サーブではターボチャージャーを効率を高めるためのシステムととらえ、同等馬力を発生する大排気量エンジンよりも優れた燃費性能を実現。また、実用域での扱いやすさを向上させるために過剰な過給を防止するウェストゲートバルブを組み込んだ。内外装ではオイルクーラー内蔵のエアダムやリアゲートスポイラー、“TURBO”エンブレム、凝ったデザインのアルミホイール、3本スポークのステアリング、独立タイプのターボブースト計などの専用アイテムを装備する。トランスミッションは4速MTで、足回りも強化。最高速度は195km/h、0→100km/h加速は9.1秒を達成した。

 99ターボはサーブの先進性を示すエポック車であったが、同時にターボチャージャーという過給機のメリットがスポーツモデルだけではなく実用高性能車にも有用であることをワールドワイトにアピールする先駆車ともなった。さらに、ラリーフィールドでの99 Turboの大活躍によってターボエンジンの戦闘力の高さが証明され、以後、WRC(世界ラリー選手権)などに参戦するラリーマシンはターボの装着が定番となる。99 Turboは、モータースポーツシーンにも強いインパクトを与えたのだ。

サーブの成長を支えるロングセラーモデルに昇華

 1979年モデルになると、99シリーズよりも見栄え品質が高まり、しかも走りや居住性、安全性なども向上した900シリーズが市場デビューを果たし、発売直後から好調な受注を記録する。900は、とくにアメリカ市場で高い人気を博し、販売台数を大いに伸ばしていった。この状況に即して、サーブは99シリーズのラインアップを徐々に縮小。1980年モデルを最後にアメリカ市場からは撤退し、以後は欧州マーケットをメインに販売を続けた。

 900シリーズの1クラス下のベーシック車という位置づけに変わった1980年代の99シリーズは、1985年モデルになると、キャビンから後ろの造形を900と共通化した2ドアモデルの「90」に移行。この時点で、99の車名を冠するモデルはカタログから外れた。約16年という車歴で生産された台数は58万8643台。第2世代の乗用車としてサーブ・スカニア社の成長を支えた99シリーズは、まさに同社の発展を支えた名車である。