日本の道11/芦ノ湖スカイライン 【1962〜】
雄大な富士山と箱根の四季が満喫できる人気ワインディングロード
戦後の経済回復が本格化した1950年代後半の日本。都心部に近い観光地では活発な開発競争が展開されるようになる。なかでも熾烈を極めたのが芦ノ湖周辺を中心とした神奈川県・箱根地区で、大手から中小までのディベロッパーたちがこぞってホテルやゴルフ場などのリゾート関連施設の建設を推し進めた。この現象は、後にマスコミ界で“箱根山戦争”と称された。
集客力と利便性を高めるためには、リゾート施設に向かうまでの観光道路もきちっと整備しなければならない−−。その一環として、箱根小湧園(1952年開業)を手がけていたレジャー企業大手の藤田観光は、芦ノ湖西岸を貫く観光用の自動車道路の設置を計画する。そして1959年8月に国から事業免許を受けて工事に着手。1960年9月には神奈川県足柄下郡箱根町〜静岡県御殿場市大字神山字丸獄落合を、1962年11月には静岡県駿東郡裾野町大字深良字明神ケ嶽〜神奈川県足柄下郡箱根町大字仙石原字長尾をルートとする自動車道路の工事施行が認可された。
神奈川県と静岡県の県境に沿う形で箱根山系の外輪を縫う自動車道路の建設は、地形や勾配、さらに一部の古道に則したルートで道が切り開かれる。道中の箱根峠や山伏峠、杓子峠、三国峠では、できるだけ景観を崩さないように配慮した。
藤田観光では道路自体に加え、パーキングエリアなどにも工夫を凝らす。視界が開けた絶好のビューポイント、具体的には芦ノ湖や駿河湾を一望できる山伏峠周辺やルートの中間地点で富士山の眺めも美しい杓子峠、そして相模・駿河・伊豆の三国が接して富士山の全景も壮大な三国峠に駐車スペースを設けた。さらに、伝説の中でヤマトタケルノミコト(日本武尊)が立ち寄ったとされる「命(ミコト)の泉」を祀る命之泉神社の付近にも駐車スペースを設置する。
芦ノ湖西岸を走る観光道路は「芦ノ湖スカイライン」と名づけられ、まず1962年に本線の供用を開始する。そして1972年になって仙石原と結ばれる湖尻線が開通した。
箱根峠から湖尻を結ぶ総距離10.75kmの芦ノ湖スカイラインは、その風光明媚なルートから一躍人気ドライブコースとして発展する。また、表情豊かな低速・中速コーナーが点在することからドライバーやライダーの走りのスポットとしても人気を博し、同時にクルマやモーターサイクルの媒体などの撮影ポイントとしても頻繁に使用されるようになった。
人気の走行ルートに成長してからも、芦ノ湖スカイラインには様々な改良が加えられる。パーキングエリアは拡大するとともに舗装化も実施。植林を多用せずに落葉広葉樹と笹などを活かした自然の山並には、環境に則した定期的なメンテナンスが施される。また、山伏峠付近には飲食施設を設置するとともに、ヘリコプターによる遊覧飛行も行うようになった。
ルート上では、杓子峠と三国峠のあいだの上り車線約310mの区間に“メロディペーブ”と呼ぶ音響道路が設けられる。ここを一定の速度(40km/h)で走ると、車内で童謡『ふじの山』の冒頭部分のメロディが聞こえてくる仕組みだ。案内によると、施工時点では「東京から一番近いメロディが聞こえる道路」だという。
芦ノ湖スカイラインは2007年9月に、運営主体が藤田観光の事業部門から道路舗装業大手のNIPPOコーポレーション(現NIPPO)へと移管される。同社は100%出資で芦ノ湖スカイライン株式会社を設立。観光道路としてのさらなる充実を図っている。