ベンツ パテント モートルヴァーゲン 【1886】

世界初のガソリン自動車

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中川 和昌
メルセデスベンツのルーツ

1886年7月3日、マンハイム周辺で、見たこともない乗り物が走った。馬車のようでも馬はいないし、かといって自転車でもない。そのうえ何やらけたたましい音をたてていた。
 ガソリン自動車が初めて走った日、そこに立ち会った人々はいったいどんな気持ちで、その姿を見ていたのであろう。多分、誰もが50年後に、この風変わりな乗物が地球上でもっともポピュラーな移動の手段になるとは思ってもみなかったに違いない。
 重要なことは、この世界初のガソリン自動車を造ったのが、カール・ベンツであったことだ。言うまでもなくメルセデスベンツのルーツのひとつである。よく知られるようにメルセデスベンツの創設にあたってカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーが深く関わっている。
 もちろんこの時点では、二人はまだ接点はなく、それぞれにガソリン自動車の開発を進め、ダイムラーも時を同じくしてガソリン自動車を完成していた。ところが、パテントを取得するタイミングがベンツの方が早く、世界初になったという事実はあまりにも有名である。
 つまり、今日に至るメルセデスベンツの長い歴史はこの時からはじまり、それがそのまま自動車の歴史になるということだ。もちろんこんなことはいまさら言うまでもないが、ベンツ、ダイムラーいずれが世界初であってもこの事実は変わらなかったであろう。もちろん、当時の実車は現存していないが、メルセデスベンツが自動車誕生100周年を記念して当時の資料に基づき正確に何台か復元製作して、世界中の博物館やメルセデスベンツ関係の施設や会社などに譲渡したことは良く知られている。そのうちの何台かが日本にも存在する。

おそらく、このパテント・ヴァーゲンを見て、今日のクルマと比べて、あまりにもかけ離れた姿をしているためにピンとこないかもしれない。しかし、パテント・ヴァーゲンが誕生した時代は、ちょうど内燃機関、すなわちエンジンが誕生した頃でもあり、それを考えると多くの点で先駆的な内容をもっていた。
 ガソリンエンジンに関しては、1860年にフランスで誕生、その後1876年にドイツのオットーとランゲンが4サイクルエンジンの開発に成功している。これが、いわゆるオットー・サイクルである。このエンジンを基本に、さらに現代のエンジンに近い構造としたのが、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハで、これを小型化して、1883年に世界初のモーターサイクルを製作している。
 こうした背景の中で、多くの発明家や若いエンジニアが自動車の可能性を模索していたが、カール・ベンツもそのひとりだったのである。

ここで問題になったのは4サイクルエンジンのパテントであった。しかし、それも1884年にその無効を訴える訴訟が起こり、パテントの失効が予想された。これを機にベンツはそれまでの2サイクルから4サイクルへと研究を切り替えたのだ。
 こうした、背景やチャンスをベンツは活かしたわけだが、1885年には4サイクルエンジンを完成させたといわれている。
 パテント・ヴァーゲンにはそのエンジンが搭載されるが、ベンツのエンジンの最大の特徴は、はじめから自動車への搭載を念頭において設計されていたことだ。構造は今日のエンジンに比べれば単純で、水冷の単気筒、排気量は984cc。9hp/400rpmを発生するものだが、水平型を採用したのである。
つまり、シャシーに対して、重心を低く搭載することが可能だったのだ。当時のエンジンは、クランクシャフトが外側にあり、しかも単気筒で滑らかな回転特性を得るために大きなフライホイールが必要であった。写真で見るとわかると思うが、後輪の間にある大きなスチールリングがまさにそのフライホイールだ。ベンツはこれを横置きすることで、巨大なるライホイールが操縦性に与える影響を抑え、なおかつ重心高を低くしようとしたのである。もちろんこうした考え方は、今日の自動車設計においても基本であり、ベンツがいかに先進的であったか、容易に理解できる。当時としては先進的であり、きわめてエポックな内容を備えていたのである。

それはシャシーについても同じことが言える。黎明期の自動車の多くはそれまでの馬車のフレームを流用したものが多く、多くの点で無理や不都合があった。それをベンツは、鋼管フレーム構造として専用に設計したのでる。結果、馬車に対してきわめて軽量かつ堅固なフレームにできたのである。3輪を採用したのは、操舵性に問題があったからで、テーラーバーによるラック&ピニオンとすることで、2輪で複雑化するより簡素かつ信頼性の高い1輪操舵を選んだのだ。ちなみに1894年にはベンツはキングピン式の前輪操舵システムを完成させ、ドイツでパテントを取得しているが、そのシステムは今日のものに近い。

さらに注目すべきは、史上初のデファレンシャルシステムを備えていたことだ。構造的には単純で、フライホイールの上にある大きなプーリーを介して、ベルトによって一端前方に伝えられた駆動力を受け止めるドライブプーリーにデフを組み込んだのだ。駆動力はこのプーリーから、さらに両サイドのスプロケットからチェーンによって後輪を駆動する。いわば今日的なミッドエンジンレイアウトとなる。ブレーキシステムは運転席左側のレバーによってロッドでプーリーに連結、解除すると走り出すという単純なものだが、時速15km/hの最高速に対して十分であった。もちろんフロントにサスペンションはなく、リアにはやはり簡素なリーフスプリングが与えられるが、これの専用設計による軽量シャシーには十分なキャパシティを備えていたのである。

ベンツは、オットー・サイクルのパテントの失効を待って、「動力を備えた乗物」として、1886年1月29日にパテントを取得。名実ともに世界初の自動車となったわけだが、同時に販売を開始して、世界初の販売車となったことにも注目したい。いずれにせよこのクルマからすべてははじまったのである。