特殊車両の歴史04 【1991〜】

建設機械のグローバル化

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CIの導入と国際企業への発展

 1980年代までに世界屈指の建設機械メーカーに成長していた小松製作所は、1990年代に入るとさらなる国際化と建機の技術開発を積極的に推し進めていく。
 まず経営陣が実施したのは、CIの導入だった。1991年5月、会社創立70周年に合わせて社名表示と呼称を従来の小松製作所から「コマツ」に変更し、ロゴマークも青字の「KOMATSU」に一新する。さらに、コーポレートメッセージとして「地・求・人ですKOMATSU」を掲げた。

 この時期、東京・赤坂のコマツ本社ビルでも大きな変化があった。1966年に本社ビルが完成して以来、ずっと屋上に備えつけられていた「D60A」型ブルドーザーが撤去され、新たに情報発信ボードの「K-View」が据えられたのである。国際化に向けて新たな企業風土を作り出そうとする、同社の意欲と姿勢の表明だった。

 国際化に関しては、すぐに形となって表れた。1991年10月にはオーストラリアにエスエヌコマツ㈱を設立。翌月にはイタリアのファイ社に資本参加する。1992年には英国コマツで開発したホイール式油圧ショベルを欧州市場で拡大販売した。1993年に入ると、9月にアメリカのアプライドマテリアルズ社と液晶パネル製造装置の製造販売合弁会社、アプライドコマツテクノロジー㈱を設立。10月には日米にコマツカミンズエンジン㈱とカミンズコマツエンジンカンパニーを設けた。

 建機自体の改良も相次いで実施する。最も重視されたのは環境対策で、排出ガス規制への対応やオゾン破壊物質の削除、部品の再利用が可能な構造への変更、解体・廃棄を考慮した設計などに取り組む。さらに、都市型工事の増大に伴った変更、具体的には街の風景に馴染むカラーリングの採用や稼働時の低騒音化などを敢行した。

グローバルな開発・生産・販売体制の確立

 コマツの国際化戦略は1990年代後半に入っても続く。1995年にはベトナムにコマツサイゴン㈱、中国に小松常林建機公司や小松山推建機公司、イタリアにファイコマツインダストリーズ㈱、タイにバンコックコマツ㈱などを設立。さらに1996年にはドイツにデマーグコマツ㈱、中国の上海に小松有限公司を、1997年には南アフリカにコマツ南部アフリカ㈱、アメリカにコマツマイニングシステムズを、1998年にはインドにエルアンドティーコマツ㈱、ロシアにクラネクスインターナショナル㈱、ブラジルにコマツブラジルインターナショナル㈲を新設した。

 現地企画の建機も積極的に開発・販売されるようになる。1995年6月にはアメリカのコマツドレッサー社で世界最大のダンプトラックである「930E」を開発。同年7月にはコマツブラジル製の中型ブルドーザー「D41」が全世界に供給される。さらに日本からは、1999年9月に世界最大のメカニカルドライブ式ホイールローダとなる「WA1200」が発売された。

環境対策とIT化の推進

 2000年代に入っても、コマツのグローバル戦略は拡大する。同時に世界規模での生産体制の見直し、いわゆるアウトソーシングも積極的に展開された。
 建機に関しては、近未来を視野に入れた技術開発に力を入れる。具体的には無人運転や遠隔操縦、さらに人工衛星を利用した位置計測システムとデータ通信システムの開発を推し進めた。このなかでとくに注目されたのが、位置計測とデータ通信システムの構築だった。2007年には世界中のコマツ製主要建機の位置や稼働状況が、各地の情報管理センターで把握できるようになる。今どんな機械が、どんな場所で多く働いているのか。また不具合がある箇所は……などがどの施設でもコンピュータのディスプレイ上で瞬時に理解できた。データを蓄積すれば、開発やマーケティングにも大いに役立つ技術である。

 またコマツでは、自己判断型の、いわゆるロボットのような建機の開発も鋭意、進めている。危険で複雑な地形の工事現場では、建機が自己判断で作業を行い、その場所に人間が立ち入らなくて済む--そんな時代が、目の前にきている。