ローレル 【1968,1969,1970,1971,1972】

日本初、走りのいいハイオーナーセダン

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日本初のハイオーナーカーの誕生

 1968年4月、日産は、起死回生の切り札としてエンジン排気量を拡大して1.8リッター・クラスの純自家用向けの新型車を登場させる。それがハイオーナーカーをキャッチコピーとしたローレルであった。ブルーバードとセドリックの中間車種とも言うべき新型ローレルは、1966年に日産が事実上吸収合併した旧プリンス自動車の技術を最大限応用したものと言えた。エンジンはプリンス自動車がスカイライン用に開発した直列4気筒SOHCユニットで、ボアとストロークを拡大して排気量をスカイライン用の1483ccを1815㏄としたものである。2バレル型キャブレター一基と8.3の圧縮比から、100ps/5600rpmの最高出力と15.0㎏・m/3600rpmの最大トルクを得る。トランスミッションは3速および4速のマニュアル・トランスミッションで、3速型がコラムシフト、4速型はフロアシフトとなる(4速型はスポーティーモデルと位置づけられた)。ステアリングギアにはラック&ピニオン式が採用され、サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式の4輪独立システム。そのメカニズム内容は当時のBMWとオーバーラップし、カタログでも“若々しい高級車”という表現で優れたパフォーマンスをアピールした。ちなみにトップスピードは165km/hに達し、ゼロヨン加速は18.1秒と国際レベルで評価しても十分なレベルに達していた。

スタイルは“スーパーソニックライン”

 ボディスタイリングは、ブルーバードで最も成功したと言われた510系の「スーパーソニックライン」を踏襲したもので、シャープな直線を基調としたデザインは、クリーンかつ軽快にまとまっていた。しかし新型車のスタイリングとしては個性に乏かった。ちなみにスーパーソニックラインはもともとローレル用に日産が暖めていたもので、ブルーバードに先行採用させたという事情があったらしい。斬新さが必要だったブルーバードでユーザーの感触を確かめ、ローレルで熟成させるというのが戦略だったのだろう。ロングノーズのフェンダーサイドにエアアウトレット風の飾りを配置したり、上級版のリアランプを思い切った横長デザインにするなど“遊び”も確かにあったが、イメージはブルーバードとほぼ共通だった。
 国産車としては初めてのクラスということで、バリエーションはごく控え目なものであった。当初は2ドアやハードトップなどは無く、3BOXの4ドアセダン1車型のみ。エンジンのバリエーションもG18型と呼ばれた直列4気筒SOHCの1815㏄一種。一方でトランスミッションはマニュアル型が2種と当時日産と提携関係にあったアメリカのボルグワーナー社ライセンスによるBW35型3速オートマティックの3種があった。サスペンションは、前述の通り4輪独立懸架となっており、前がマクファーソン・ストラット/コイル・スプリング、後がセミトレーリングアーム/コイル・スプリングの組み合わせ。駆動方式はフロント・エンジン、リア・ドライブである。

強敵コロナ・マークIIとの戦い

 ブルーバードやコロナのひとクラス上のカテゴリーに属するモデルとして登場したローレルは、当初67.5万円から80万円の価格帯で販売された。内容や性能からすれば十分魅力的な価格設定であった。評判は上々で、新しいジャンルのクルマとしてローレルはとくにクルマに詳しい層から人気を集めた。スカイライン2000GTと同様、走りにこだわりのあるユーザーに注目されたクルマだった。しかし販売成績は安定したものとはいえなかった。ローレル登場の5ヵ月後、1968年9月にトヨタが同クラスのコロナ・マークⅡをデビューさせたからである。コロナ・マークⅡはメカニズム面ではとくに凝った面はなかったがローレルよりひとまわり小型の1.6Lエンジンと、ひと回り大型の1.9Lエンジンを設定し、スタイリッシュな2ドアHTボディなど多くの魅力的なバリエーションを当初から設定していた。ユーザーニーズに幅広く対応したのはローレルではなく、マークⅡだった。豪華さや装備の充実ぶりもマークIIに軍配が上がった。市場に隙間はない。マークⅡの登場によりこのカテゴリーでも、日産とトヨタはライバル同士となったのである。