360ヤングシリーズ 【1968,1969】
ポルシェルックのスポーツてんとう虫
1958年3月に発売されたスバル360によって、日本の軽自動車の時代が本格スタートすることになった。スバル360は、富士重工(現SUBARU)と言う、決して大きくはないが本格的な自動車メーカーの手で開発され、量産と販売が大規模に行われたことで、軽自動車のパイオニアとなったのである。最初のモデルは42万5千円の価格が設定されていたが、大学卒業者の初任給が1万円前後だったことを思えば、今日でいえばメルセデス・ベンツのEクラスにも匹敵したはずだ。それでもスバル360は、庶民でも頑張れば購入することが可能な“現実的な夢”だった。当時クルマを所有することは、生活を大きく変革する大きな出来事と認知されていた。スバル360が、たちまちアイドルとなったのは想像に難くない。
スバル360は、発売当初こそ販売で苦戦したものの、走行性能の高さや“スバル・クッション”と呼ばれた独特のソフトなサスペンションなどが知られるにつれ、爆発的な人気を集める。1967年5月には累計生産台数で50万台を突破し、国産車として最多生産車となった。世はスバル360の時代となっていたのである。しかし、1967年に最強ライバルが登場する。31万3千円の価格とフロントエンジン、フロントドライブを採用したホンダN360である。N360のデビューを機に事態は急変する。
N360は低価格と高性能という2枚看板を持つヒーローだった。設計面はもちろんスタイリングやパッケージングがホンダらしく斬新なこともあり、N360はスバル360のシェアを確実に切り崩していく。しかもN360は軽自動車の走りの基準そのものを塗り替えてしまった。従来の王者スバル360は、それなりにバランスがとれた走りの持ち主だったものの、絶対的な走りの性能では普通車に太刀打ちできなかった。しかしN360は違ったのだ。普通車と同等、場合によっては抜き去るほどの速さを発揮した。軽自動車でも普通車と同等の走りが求められるようになったのはN360以降である。軽自動車各車は高性能化を積極的に推進し、いつしか歯止めの掛からなくなってしまう。気が付くと軽自動車は、リッター当たり100馬力レベルのレーシングエンジンに匹敵するハイチューンが当たり前となってしまっていた。スバルもそうした傾向に応えるべく、1968年にデビューさせたのがヤングSおよびヤングSSだった。