アスカ 【1983,1984,1985,1986,1987,1988,1989,1990】

GMのワールドカー戦略の日本版



いすゞ自動車は1971年にGMと資本提携し、
GMのワールドカー戦略の一端を担うようになる。
まず最初に“Tカー”、いすゞ版では初代ジェミニを発表。
1980年代に入ると、GMは新たな“Jカー”構想を立ち上げ、
いすゞ版では「アスカ」の名で市販に移された。
■GMのグローバルカー戦略

 1974年11月デビューの初代ジェミニ(Tカー)から始まったGM主導のワールドカー構想は、その後も着々と進行していく。そして1980年代に向けた新しい量産セダン、戦略コード“Jカー”の開発が本格化していった。

 新しい戦略車で重視されたのは、何よりも広い居住空間だった。そのため、開発陣はパッケージ効率に優れたフロントエンジン&フロントドライブ(FF)の導入を決定する。足回りは路面追従性のいい前マクファーソンストラット/後ミニブロックコイル付きトレーリングアームの四輪独立懸架を新たに設計した。ボディタイプはセダンをメインに、各国の市場動向に則したスタイリングを採用する。

 こうして完成したJカーは、各ブランドから相次いでリリースされた。アメリカではシボレー・キャバリエやキャデラック・シマロン、欧州ではオペル・アスコナ、豪州ではホールデン・カミーラの名で販売される。そして日本では、1983年3月にいすゞ・フローリアン・アスカのネーミングで市場に送り出された。

■フローリアンの後継車として登場

 アスカは日本での販売戦略上、フローリアンの後継モデルとして位置づけられた。そのため車名にはフローリアンの名も加えられ、フローリアン・アスカを名乗る(1985年のマイナーチェンジ時にアスカの単独ネームに変更)。ちなみにアスカの車名は「飛鳥時代」に由来する。この時代は、外国から伝来した文化を日本ならではの解釈や情感を加えて独自の文化に発展させたのが大きな特徴だった。GM主導のワールドカーをいすゞが独自の解釈で発展させる−−そんな意味合いが車名に込められていた。

 アスカのシャシーはもちろん他のJカーと共通だが、スタイリングはいすゞのオリジナルだった。ボディ形状は4ドアセダンのみで、シックで品のいいエクステリアと空力特性に優れたフォルムを実現する。安定感を狙ったタンブルホームとワイドトレッドの組み合わせも印象的だった。ボンネット下に収まるエンジンは、“シグナス”と呼ぶいすゞの新世代エンジン群で、4ZC1系と4ZB1系のガソリンユニット、4FC1系のディーゼルユニットを搭載する。

このなかで注目を集めたのが4ZC1-T型2Lガソリンターボと4FC1-T型2Lディーゼルターボ(83年8月に追加)の2機種で、4ZC1-T型は世界初の過給圧エレクトロニックコントロールを、4FC1-T型は新開発のインタークーラー機構を組み込んでいた。さらに上級グレードには、これまた世界初の車速感応型操舵力可変パワーステアリング(VSSS)を搭載し、新世代モデルであることを声高にアピール した。

■いすゞ渾身のオリジナル仕様の投入

 デビュー当初はGM産ワールドカーの一車種としての印象が強かったアスカだが、そのイメージは時を経るに連れて変わっていく。いすゞオリジナルの技術や特異な車種を相次いで市場に投入したからだ。まず1984年9月に乾式クラッチ式電子制御オートマチックトランスミッションのNAVi5搭載車を発表。1985年7月にはマイナーチェンジを実施し、内外装の意匠変更によって存在感をアップさせる。

そして同年11月には、ドイツの有名チューナーのイルムシャー社が足回りや内外装を手掛けた「アスカ2000イルムシャー」というスポーツモデルを設定した。イルムシャー社というとオペル車のチューナーとしても有名だが、いすゞ版を作るに当たっては「GMやオペルの仲介はなく、独自のルートで交渉した」と、当時のいすゞスタッフは語る。さらに、「ワールドカーがベースでも、アスカはいすゞのオリジナル車。独自性を打ち出すためにも、いすゞならではのスポーツモデルがほしかった」と付け加えた。

 アスカはその後もオリジナル性を強調するための仕様変更や新グレードを設定しながら、地道に販売を続けていく。そして1990年6月についにフルモデルチェンジし、2代目のアスカCXに移行した。しかしその2代目は、当時業務提携していた富士重工からのOEM車(レガシィ)だった。オリジナル性の強調に力を注いだアスカは、2代目になってその余地のないクルマとなり、さらにいすゞの乗用車生産撤退の序章ともなったのである。

COLUMN
MTとATのいいとこ取り を目指したNAVi5
 アスカに搭載されたNAVi5は、世界で初めて市販化された乾式クラッチ式電子制御オートマチックトランスミッションだった。5速のマニュアル変速を電子制御で自動で行うこのシステムは、MTと同じ機構でATの利便性を実現した新メカとして注目を浴びる。シフトパターンはMTと同様にH型で、1/2/D3/D5/Rを表示。D5に入れれば、スロットル開度や車速などをコンピュータが感知し、1〜5速のあいだの最適ギアを自動的に選択した。「第3のトランスミッション」と騒がれたNAVi5だったが、結果的にはラインアップから消えることとなる。当時の電子制御技術では変速が的確に行えず、アクセルワークなどにもコツを必要としたからだ。