スプリンター・カリブ 【1982,1983,1984,1985,1986,1987,1988】
マルチパーパスワゴンの意欲作
日本でのアウトドアブームは、
移動手段の核となるクルマの特性にも影響し、
一部のユーザーからは荷物の積載性や
不整地の走破力などが重視されるようになる。
その対応策として、トヨタは新しい多目的車を開発した。
1979年に発生した第二次オイルショックの混乱を乗り切った日本の自動車メーカーは、来るべき1980年代に向けて新型車の開発を急ピッチで押し進めるようになる。なかでもトヨタ自工は積極的で、既存車のフルモデルチェンジに加えて新ジャンルのクルマの開発を相次いで手掛け始めた。その代表格が1981年2月にデビューした大型スペシャルティカーのソアラと、ここでピックアップするスプリンター・カリブだ。
トヨタ自工はまず、1981年10月開催の第24回東京モーターショーで多目的車のRV-5を参考出品する。流行の兆しを見せ始めていたアウトドア・ブームに対処することを目的に開発したRV-5は、ハイトなワゴンボディに広いガラスエリア、そして不整地での走破性に優れる4WD機構を採用していた。キャッチフレーズは「ニュー・アクティブ・ビークル」。
アウトドアレジャーの足として活発に使えることを声高にアピールした。観客の評判は非常によく、トヨタ自工のスタッフはこの種のクルマを嗜好する潜在ユーザーの存在を確信する。RV-5の市販化に向けたゴー・サインは、すぐさま発せられた。
多目的4WDワゴンの市販化に際し、開発陣が最も苦心したのは既存パーツの流用だった。この種のクルマは、あくまでアウトドア・レジャーの脇役。車両価格を高くしてしまうと、ユーザーにそっぽを向かれる危険性がある。そのため既存のパーツを可能な限り使用して、コスト下げる必要があった。
エンジンはターセル/コルサ系の3A-U型1.5L直4OHCを使用する決断を下す。4WD化する際に、縦置きエンジンの方がメリットが大きいからだ。一方、4WDのギアボックス自体は新開発品で、FFと4WDを走行中に切り替えることができた。さらに副変速機を持たない代わりに、非常時用のエクストラローギアを設定する。
流用パーツはターセル/コルサ系だけではない。リアの足回りにはカローラ/スプリンター系の4リンクを用い、これをベースにパナールロッドを加えた専用リジットサスを導入した。荷物を満載しても、安定した走行が得られるように配慮した結果だ。
1982年8月、「トヨタから面白4WD誕生」という宣伝文句とともに、RV-5の市販版となるスプリンター・カリブがデビューする。スプリンターの名を冠してはいたが、多くのコンポーネンツがAL25型ターセル/コルサ系の流用で、型式もスプリンターの70型ではなくAL25G型を付けていた。
カリブのスタイリングは異彩を放った。高い屋根に大型のクオーターガラス、170mmと高くとった最低地上高、ナンバープレートをオフセットしたテールゲートなど、既存のワゴンとは一線を画すデザインが注目を集める。室内に目を移すと、FWDと4WDの専用切り替えレバー、左上に赤字でEL(エクストラロー)と刻んだシフトノブ、車体の傾斜を示すクライノメーター等がクルマの性格を主張した。フルフラットにできる前席、高さ方向に余裕のあるラゲッジもユーザーの好評を博す。
走りも多目的ワゴンにふさわしい出来栄えだった。動力性能は必要十分というレベルに終始したが、トラクション性能はすこぶる高く、河原の砂利道も難なく走破する。改良したリアサスのおかげで、荷物を満載しても走行安定性に不満を感じることはなかった。さらに余裕のある室内高が、乗員の開放感のアップにつながっていた。
当時はハイテク満載のスポーツモデルに注目が集まる傾向があり、カリブのコンセプトは決して主流にはならなかった。しかし、アウトドア・ファンからは絶大な支持を集め、やがて追随車を生むほどの定番モデルに昇華する。結果的に4WDハイトワゴンの隆盛は、このカリブが端緒になったのだ。