グロリア 【1962,1963,1964,1965,1966】
高級車路線を明確にした2代目サルーン
1955年に発表されたトヨタのトヨペット・クラウンをきっかけにして、日本ではそれまでの商用車をベースとしたものではない本格的な乗用車の開発が盛んに行われるようになった。旧・立川飛行機を基にして、第二次世界大戦後に設立された富士精密工業も、自社のプリンス・ブランドの乗用車開発を本格化させていた。
1957年4月に直列4気筒OHVの1484㏄エンジンを搭載した本格的な6人乗り4ドアセダン、スカイラインをデビューさせ、続いて1959年2月には国産初の3ナンバー乗用車となる「グロリア」を発売した。車名の「グロリア」は、当時の皇太子(現・天皇)のご成婚立を記念して付けられたものだ。ちなみに、富士精密のブランドである「プリンス」は、1951年の皇太子(平成天皇)の立太子礼を記念する意味で採用されたもの。実際に皇太子は若いころにプリンス・セダンを自ら運転したことがあると言う。
トヨタのトヨペット・クラウンや日産のセドリックなどのライバルとして、独自のポジションを確立していたプリンス・グロリアは1962年9月に第二世代へと進化した。スカイライン系と同一のボディから一転し、新開発のオリジナルボディを使うことになった。スタイリングは、当時世界的に大流行していたコルヴェア・スタイルで、完全なフラットデッキとボディ周囲を取り囲むクロムメッキのモールディングを特徴としていた。アメリカ的な要素とヨーロピアン・ティストを巧く融合させたグッドデザインであり、当時の国産車として最も先進的なデザインであったことは間違いない。モデル・バリエーションはグロリア・デラックスの名を持つ1車種のみの設定となっていた。
搭載されるエンジンは水冷直列4気筒OHVの1862ccで、最高出力は94ps/4800rpmとなっていた。車重はトレー型セパレート・フレーム(ビルトイン・フレームの一種)のため1295㎏と比較的軽く、最高速度は140㎞/hと実用上十分以上の性能を発揮した。トランスミッションは4速M/T(4速がODレシオ)が標準でオートマチックの設定はない。この後、グロリア・シリーズは1963年6月に排気量1988ccの直列6気筒SOHCエンジンを搭載したグロリア・スーパー6がデビュー、高級車市場のシェアを一気に拡大する。ちなみに、この6気筒SOHCエンジンを1963年9月にデビューしたスカイライン1500のシャシーを引き延ばし、無理やり押し込んだのがスカイラインGTである。
2代目のグロリアは、プリンス自慢の高度なメカニズムと贅沢な装備を持った高級車として全世代に高い人気を誇った。デビュー・キャンペーンとして企画された10名のモニター募集には25万人もが募集したという。4650×1695×1480mmのボディサイズは先代と比較して全長で290mm、幅で20mm大きく、2680mmのホイールベースは145mm延長されていた。それだけに室内は広く、とくに後席の広さは圧倒的だった。グロリア独自のド・ディオン・アクスルが生むしなやかな乗り心地と相まって、快適性は国産トップと呼ぶに相応しい完成度を持っていた。