カリーナ 【1977,1978,1979,1980,1981】

高い走行性能を備えた実用モデル

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セリカの主要コンポーネンツを用いて、
4ドアセダンも用意するなど、
実用性も重視してデビューしたカリーナ。
2代目もそのポジショニングは変わらず、
4ドアを中心に存在感を示した。
とくにファミリーを持ちながら
走りも求めるユーザーへのアピール度は、極めて高かった。
卓越の足をセリカと共用し登場

 日本で初めての本格的なスペシャルティカーとして、発売以来、爆発的な人気を集めたトヨタ・セリカの兄弟車として1970年にデビューした「カリーナ」は、カローラよりもひと回り大きなサイズのボディーで高い実用性と、セリカと共通のシャシーやエンジンでスポーティーな走りを実現し、イメージキャラクターであるアクションスターの千葉真一と「足の良いヤツ」という軽妙なキャッチコピーとも相まって、特にファミリーユーザーに高い人気を得ることになった。

「カリーナ(Carina)」の名は、その当時トヨタが強く拘っていた、王冠を意味する「クラウン(Crown)」に始まる、イニシャルCのネーミングで、竜骨座の名から採ったもの。当時イニシャルCを持つモデルとしては、他に花の冠を意味する「カローラ(Corolla)」やスペイン語で天上界の聖人を意味する「セリカ(Celica)」、太陽の周囲に輝く炎を意味する「コロナ(Corona)」、マークⅡからの派生モデルで追跡者の意味を持つ「チェイサー(Chaser)」、さらに最上級セダンで創業者の豊田佐吉生誕100年を記念した「センチュリー(Century)」などがあった。ちなみに、パブリカ(Publica)」は一般公募で決められた車名だから、イニシャルCには準拠していないのだと言う。

居住性の高さが魅力として輝く

 カリーナは、エンジンやトランスミッション、サスペンションなどはセリカと共通であったが、ボディースタイルは、セリカがセミファストバックで後席が事実上2+2となっていたものを、「カリーナ」では完全な3ボックス型のボディーとし、全高も高くして後席の居住性を通常のセダン並みとしていた。

トランクスペースも4人乗りセダンとしても十分以上のもので、セリカと同等の高性能な走りと高い実用性を両立させていた。装備なども、スポーツ指向の強いセリカに比べれば実質的なものであり、外見よりも内容を重視するオーナーには打ってつけのモデルであった。

4ドアながら個性を内包

 このカリーナが、オリジナルモデルのデビュー後6年8カ月を経て、初めて全面的なモデルチェンジを行ったのが、1977年8月に発売された2代目である。「アクティブなファミリーカー」を標榜して、セリカとは異なる性格付けであることをいっそう強調していた。旧型に比べてボディーサイズは数十ミリ単位だが若干大型化され、居住性も高められている。エンジンなどのメカニカルコンポーネンツのほとんどはセリカと共通であることは旧型と変わらないが、厳しさを増す排気ガス浄化規制に対応して、新形式のTGP希薄燃焼方式を採用するなどして、排気ガス浄化規制をクリアしていた。これは、兄弟車であるセリカも同様であった。

派手でスポーティーに過ぎるスタイリングを持ったセリカを、若者のクルマだからという理由で敬遠していた中年層も、カリーナであれば安心して乗れたわけである。この頃の車選びでは、自分の個性をどうクルマに反映するか?も大きなファクターとなっていたのである。ある意味で、クルマのファンにとっては、きわめて幸福な時代であったと言ってよい。

COLUMN
セダンにも登場した2000GT
カリーナのGT系は、初代では1600GTを3つのボディにラインアップ。2000GTは2ドアハードトップのみに用意したが、2代目では、4ドアセダンにも2000GTを設定したことが注目を集めた。2000GTのパワーユニットは従来同様、2連ソレックスを備えた1968ccの直4DOHC。排ガス浄化システムに改良を加えたこの18R-GU型ユニットは、130ps/17.0kg-mを発揮した。強化したダンパーのほか、足回りでは、リアにもスタビライザーを装備。4輪ディスクブレーキや185/70HR13タイヤも採用した。高い走行性能を備えた4ドアセダンの登場は、走りも重視したい“お父さん”にとって、まさに格好の存在だった。