日本車輸出の歴史 スズキ 【1971〜2011】

個性派ジムニーが切り開いた新たな海外市場



本格オフロード4WD、ジムニーの誕生

 個性的なクルマ作りで、日本だけでなくインドや欧州にしっかりとした足場を築いているスズキの海外展開は、意外なクルマが輸出本格化のきっかけとなった。軽自動車初の本格オフロード4WDとして誕生したジムニーである。

 ジムニーは、スズキ独自開発のクルマではない。かつてオート3輪の先駆メーカーとして知られたホープ自動車が開発したホープスターのスズキ版だった。ホープスターは軽自動車とは思えない優れたオフロード性能を持った4WD。しかし当時経営危機にあったホープ自動車では商品化は不可能と言えた。そこで若き日の鈴木修氏が製造権を買い取り、スズキが各部をリファインしジムニーとしてデビューさせたのである。

優れた実力が切り開いた海外市場

 1970年4月にデビューした初代ジムニーはライバル不在のクルマだった。日本だけでなく世界じゅうを見回してもコンパクトサイズの本格4WDはジムニー以外になかったのだ。当時の軽自動車の排気量制限は僅か360cc。したがってジムニーの最高出力は僅か25psだった。しかし非力なジムニーは意外なほどの走破力を持っていた。大型ジープと同等の大径16インチタイヤ、2段トランスファー、パートタイム4WDなどの本格メカニズムに加え、軽量設計という圧倒的な武器があったからだ。初代ジムニーの車両重量は600kg。これは当時ジープの主力だったJ3R型と比較して485kgも軽かった。ジムニーは確かに非力だったが、非力なだけに気軽にフルスロットルにでき、しかも軽量ボディのため悪路でもタイヤが沈み込むことが少なかったのである。スピードこそそこそこだったが、したたかに悪路を走り抜く実力の持ち主だった。

 デビュー当初こそ懐疑的だったジムニーの評価は日増しに高まり、販売は好調に推移する。そんな中、海外からの問い合わせも増えていった。ジムニーの輸出はスズキ自身が売り込んだものではなく、評判を聞きつけた海外のインポーターやユーザーからの問い合わせが出発点になった。個性的な商品は、自らが道を切り開くのである。1971年には、まずは北米向けにブルートの名で輸出をスタート。東南アジアやオーストラリアなどにもサンプル輸出が始まった。

海外市場に合わせた大排気量エンジンの開発

 1972年3月にエンジンを空冷から水冷に変更される頃には輸出は軌道に乗り、月産2000台のうち900台ほどが輸出に振り向けられることになった。しかし軽自動車枠に縛られない海外市場の場合、エンジン排気量がネックになった。北米向けのブルートは、オフロード性能こそ評価されたものの、フリーウェイでは周囲の流れに乗ることができないことが欠点に挙げられた。東南アジアやオーストラリアなどからもモアパワーの声が届いた。

 そこで1977年にスズキの自動車用量産エンジンとしては初の4サイクル仕様となる排気量797ccのF8A型・直列4気筒OHC(41ps/6.1kg・m)ユニットが登場。パフォーマンスを一気に向上させた。その後もエンジンの増強は続き1981年に970ccのF10A型(52ps/8.2kg・m)、1984年には1324ccのG13型(70ps/10.7kg・m)も加わる。

 性能アップに呼応して海外市場でのニーズも高まり、日本からの輸出だけでなく、インドやスペインなど海外工場での生産も本格化した。バリエーションも日本仕様には存在しない4ドアモデルや、ロングホイールベースなど独自の発展を遂げるようになった。現在、日本をはじめ世界各地で生産し愛されているジムニーは現在4代目となるが、コンパクトサイズの本格4WDというキャラクターは不変。ジムニーはスズキの代表モデルとして世界中に多くの信奉者を生みだしている。